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社会の片隅に光をともす人々への賛歌

4月 25, 2010

マルシャル・ゲルー(Martial Guéroult、以下、ゲルーといいます。)という哲学者をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
おそらく「知らない」という方が多数でしょう。
そして、もし「ゲルーのことを調べてみよう」と思ってgoogleで検索しても、彼についてたいした情報を得ることはできないでしょう。
「マルシャル・ゲルー」という単語で検索しても、返ってくる結果は、たったの27件です。
ゲルーの日本語表記には揺らぎがあり、「マルセル・ゲルー」と表記されることがありますが、その検索結果も、10件です。

ゲルーのことを少しでも詳しく知りたい方は、「Martial Guéroult」というフランス語をgoogleで検索する必要があります。
そして、検索結果として表示されるwikipediaのフランス語の説明を読む必要があります。

一方、ミシェル・フーコー(Michel Foucault、以下、フーコーといいます。)やジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze、以下、ドゥールーズといいます。)をご存知の方は多数いらっしゃるのではないでしょうか?
おそらく「なんとなく、どこかで聞いたことがあるなぁ」という方もいらっしゃるのではないかと思います。
フーコー、ドゥルーズともに哲学史にその名を残す、学者として知られています。
googleでの検索では、「フーコー」は278,000件、「ドゥルーズ」は107,000件もの結果が得られます。
彼らのことちょっと調べようと思えば、わざわざフランス語で検索する必要もなく、フランス語を読み解く必要もありません。

ゲルーはフーコーとドゥルーズに比べると、日本において圧倒的に無名です。
しかし、そんな無名のゲルーは、実は、哲学という世界のおいては日本のみならず全世界で有名なフーコーやドゥルーズに多大な影響を与えているのです。

哲学史にその名を残す哲人たちは、みな「人間の精神の発展に貢献した」人たちです。
多くの哲人たちは、人間が生きてゆくうえで問題を定義し、解決をすることに人生をささげてきました。
ある人たちは、神の実在性を証明することで、またある人たちは人間の自由や幸福のあり方を追求することで、人間が生きていることで抱える多くの問題を解決しようとしてきたのです。
それらの一つ一つの成果は、医学や科学のように直接、目に見える形で私たちの生活を助けてきたものではありません。
それらの成果は、法律や政治思想などに姿を変えて、私たちの生活に影響を与えてきました。

ただ、一点、忘れてはならないのは、哲学史にその名を残すような人たちがだけが、「人間の精神の発展に貢献したわけではない」ということです。
フーコーやドゥルーズのようい歴史に名を残す人々がいる一方で、功績がありながらもその名を残すことなく、また残しても多くの光を当てられることのない人々がたくさんいるのです。
まさに日本における、ゲルーのような人々たちです。
そうした名のない人々は、社会の片隅でひっそりと、しかしながらしっかりと自分の仕事を磨き上げ光らせてきた、人々です。

私の知り合いにも、こうした人がいます。
それは、私の大学の恩師です。

その恩師が、今年の3月に任期満了により大学を退官されました。
今は、週に1日2コマの授業を臨時講師として引き受け、そのほかの時間を授業のための準備とご自身の研究に費やすという、生活をされているようです。
退官されてもなお、問題意識を持ち続け、思索を深め、自らの仕事を磨き上げ続けているのです。

先生は、哲学、という学問の価値を信じている方でした。
そして、私が大学に在籍しているころから、哲学の教育体制が不十分であることに問題意識をもたれていました。
たとえば、当時学科に存在していなかった美学を科目として導入したり、そもそも思索に必要な「考え方」を学ぶためのクリティカルシンキングの科目を導入したりという活動をされていたのです。
単に、無用の用としての哲学ではなく、学生が卒業しても役立てる総合的な知識をはぐくむ学問としての哲学を、大学の教育を通じて広めようしていたのです。

しかし、哲学史、また歴史という大きな枠組みのなかでは、先生のこうした活動も埋もれてゆき、大きな光を当てられることはないでしょう。
いま哲学科に在籍する学生も、先生のこうした活動に感謝することはないかもしれません。
また、研究の内容や功績も、世界中の多くの人々が知ることのないものになるかもしれません。

ただ先生はそのようなことを気になどしていません。
自らの仕事を楽しそうに磨き上げています。
そうして、世界の片隅を照らし続けているのです。

普段は忘れがちなこうした事実を、先生との数年ぶりの出会いが思い起こさせてくれました。
先生のように、自分の住む世界の片隅に光を与える人々に、感謝。

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