Archive for 2010年5月

エアロバイクとプロジェクトの共通点-ワット数と作業の負荷-

5月 30, 2010

突然ですが、私は、ジムで、エアロバイクを以下のような条件で漕いでいます。
・時間: 30分
・ワット数: 130から140W
・回転数: 80~85を維持
・心拍数: 最大155~160を維持。165になったら負荷を下げる

エアロバイクで効果的な運動をするために私が意識する点、目標は、

心拍数とペダルの回転数を一定に保つこと

であり、

その状態で30分走りきること

そして、ワット数、つまり足にかかる負荷を徐々に上げながら、この運動を繰り返し、

脚力を鍛えること

です。

この条件で、エアロバイクを漕いでいて一番難しいことは、回転数を維持しながら、心拍数を安定させることです。
30分という限られた時間の中でワット数を上げ、その回転数を維持することは、回転数を上げる、という点と同じ意味をもちます。
しかし、足の回転数を上げると運動量は増加し、運動量が増加すると呼吸は激しくなり、心拍数は乱れます。
呼吸や心拍数、すなわち自らの理想のペースを守りながら、回転数を上げる、負荷に耐えられる負荷を徐々に大きくする、というエアロバイクの鍛え方は、プロジェクトが追求する理想の姿に通じるな、と考えました。

たとえば、ワット数は作業の負荷に通じます。

エアロバイクにおけるワット数とは、自転車を漕ぐときに漕ぎ手の足にどれだけ負荷をかけるか、を表します。
そのため、ワット数が大きくなればなるほど、漕ぎ手の足に伝わる負荷は大きくなります。
自分の脚力にたいして、負荷が大きすぎるとペダルは回せません。
たいして、負荷が小さすぎると心拍数を上げることに苦労し、30分という時間で効率的に自分の体力を鍛えることができません。
ですから、自分にとって、ちょうどいいワット数を設定することがあたりまえながら重要です。

ですがその設定は、システムをつかってロジカルに割り出せる、というものではありません。
もちろん立派な施設に行けば、全身の筋量や肺活量である程度、割り出せるかもしれませんが、大抵の運動施設はそんな立派な機能をもってはいません。
ましてや、私がいってる市が経営するような施設にはいわずもがな、です。
そのため、自分に適正なワット数を知るためには、まず漕いでみる、という実際の行為が必要です。
それも、1回ではなく数回、ワット数を少しずつ変えながら、試してみることが必要です。

また、重要なことは、そのワット数を30分間、維持することです。
割り出したちょうど良い、というワット数もその日の体調などによっては、負荷が大きすぎることや小さすぎる、と感じることがあります。
そのため、エアロバイクを漕いでいる最中に、負荷を上げてみたり、下げてみたり、コントロールすることがあります。
が、これは好ましいことではありません。
重要なことは、負荷が大きくなるから悪く、小さくなることは良い、のではなく、負荷が変化することこそが好ましくないことです。

負荷が大きくなると回転数を維持するために足にこめる力を大きくする必要があります。
そのため、呼吸を止めて力を入れてしまいすぐに呼吸が乱してしまいます。
また、小さすぎると無意識に回転数を上げすぎてしまいます。結果、足の運動に引きずられて呼吸が早まってしまい、心拍数が上がってしまうのです。
変化しすぎる負荷は、呼吸を整え心拍数を安定させるための大きな障害になります。

このように、ワット数、すなわち負荷は、自分の行動に大きな影響をあたえます。
エアロバイクでは、その負荷をコントロールできますが、現実のプロジェクトでは負荷の調整はとても難しいことです。
・こなすべき作業
・関わる人員
・かけるべき時間
それらを増減させながら、プロジェクトに関わる人々の負荷を調整する必要があります。
このコントロールの難しさこそが、エアロバイクとワット数との異なる部分であり、大きな違いです。

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ワッチ、してますか?

5月 24, 2010

マグロ漁船で働く

もしも友人や親戚、はたまた会社の同僚からこの言葉を聞いたら、あなたは何を思うでしょうか。
おそらく大半の人が、

えっ!そんなにお金に困ってるの?

と思うに違いありません。
あなたの頭の中には、
危険で不潔、でも大金を儲けられて、借金まみれの人が半ば強引に乗せられる、
というマグロ漁船のイメージがあるでしょう。

しかし、それはどうやら漫画やドラマから無意識に仕入れてしまった知識とイメージのようです。
現代のマグロ漁船はイメージとはかけ離れて意外と過ごしやすく、反面、大金を得られなくなっているようです。
とはいえ、マグロ漁船の生活はとても厳しいようです。

まずは生活スペースです。
そもそも漁船は生活するように作られておらず、魚を捕らえて運ぶためにつくられています。
そのため、人が気持ちよく生活するスペースはありません。
漁をするための機材、マグロを大量に輸送するためのコンテナ、最低限必要なトイレや風呂、こうしたものにスペースを割いた後、最後に船員のためのスペースが割り当てられます。
そのため、船員一人に割り当てられるスペースは縦は2m、横は肩幅より多少広い程度だそうです。(もちろん、船の大きさや船員の多さによって変わってくるでしょうが)
また、ある船員の人の個人スペースは、マグロ漁船のエンジンの隣、工事現場よりもうるさい場所にあったそうです。

つぎに労働時間。
労働時間は1日平均17時間だそうです。
延縄漁(はえなわりょう)の場合は、朝6時に起床し、それからすぐに延縄の仕掛けを海に流します。
流す距離は、100km近くです。これに約5時間を費やします。
11時ごろ仕掛けを流し終わると、マグロが針に食いつくまで待ちます。
この待ち時間を利用して、2時間ほど昼寝をします。
起床すると後は延々、午前3時まで流した仕掛けを巻き取り続けます。すなわち、マグロを釣り続けるのです。
そうして、漁を終えるとまた3時間ほど仮眠し、6時を迎えると起床、仕掛けを流し始めるのです。
すごい厳しい環境です。
IT業界でこの状態は、おそらくデスマーチ、と呼ばれる状態です。

ちなみに、生のマグロを輸送する船の場合は、この海での生活が約40日間続きます。
40日の生活後、陸地に帰ってマグロをおろして休む期間はたったの3日。
しかも、3日のうち2日は次の漁の準備があるために、本当に何もない休日は実質1日だけ、だそうです。

最後はお給料です。
狭いスペース、長い労働時間、これだけ苦労すれば、いくら大金を得られなくなったとはいえ、さぞかし良い給料がもらえるに違いない、と思うでしょう。
が、40日間のお給料はたった30万円程度、だそうです。
もちろん、お給料はマグロの取れ高に左右されるので、あるときはもっと大金を得られることがあるかもしれません。
しかし、海という危険な職場で、充実しているとはいえない住環境、そして長く厳しい労働時間から鑑みたら、満足するお給料とはいえないでしょう。

こうした厳しいマグロ漁船の職場環境では、人間関係はギスギスしそうなものです。
少なからず、システム開発の現場がこのようであれば人はバタバタ倒れ、やめる人が続出しそうです。
しかし上述したように、マグロ漁船は意外とすごしやすいのだそうです。
それは、ギスギスしそうというイメージとは正反対に人間関係が極めて良好で、豊かなコミュニケーションを育んでいるからです。
豊かなコミュニケーションという文化は、漁師たちの厳しい環境での経験とその経験からの学びから生まれています。
そして、その言葉はとても示唆に富んでいます。

私が特に感銘を受けたのは、「ワッチする」という習慣です。
ワッチというのは、watch、すなわち「見る」ということです。
何を見るか、といえば、海です。
船の前方に広がる限り海を見つめ、船の先に障害物がないかなどを観察し、船の安全を確保するのです。
が、この作業は相当、辛いものです。
マグロ漁船が、魚場へつくまで延々と、1人2時間程度で交代しながら行う作業です。
ほとんど何もない海を見つめながら、2時間過ごすのです。
しかし、ほとんど何もないからといってよそ見をしたり、ほかの事をやりながら作業することはできません。
油断をしていると本当の危険を見逃し、船を危険にさらしてしまいます。
とはいえ、漫然と海を眺めていると寝てしまう、という危険もあります。

このため漁師たちはこの時間、その日に起きたことを反省したり、漁船内の作業をよくするための方法を考えることに当てるのだそうです。
寝るのを防ぎながら、内省を行い、自分の考え方や行動をよりよくしようとしているのです。

このワッチという時間は、漁師たちにとっては「何もしない」時間です。
もちろん、危険に備えた重要な予防活動ではありますが、時間の大半は、ほとんど何もない海原を見ているのです。
こうした「何もしない時間」を利用して、漁師たちは自分自身を振り返り、思考を深めています。

一方、オフィスで働く私たちは、どれだけ「何もしない」時間を確保できているでしょうか。
何もせず今日1日の出来事を振り返って反省したり、自分の行動や考え方をよりよくするための方法を考えたりしているでしょうか。
大半の人は、「何もしない」時間を確保できていないでしょう。
電車に乗れば、携帯電話みたり、本を読んだり、ゲームをしたりします。
オフィスに着けば仕事です。
仕事が終わり、家に帰る電車のなかでは、行きと一緒。
そして、家に帰るとテレビを見たり、ネットサーフィンをしたりするでしょう。
もしかしたら、まっすぐ家に帰らず、勉強会に参加しているかもしれません。

私たちは、疲れた、といいながらも意外と「何もしない」時間を確保できていません。
「何もしない」ということをもったいない、とすら考えています。
しかし、「何もしない」時間は、自らの行動や考え方を反省する時間であり、自分自身との対話の時間でもあります。
まさに自分の内面を磨き上げる時間です。
私は、意識して何もしない時間を「もったいない」と考えてしまいます。
それだけ、自分を省みず、自分と向き合う時間を確保できていない、ということでしょう。

みなさんはいかがでしょう。
みなさんは、ワッチしていますか。

ちなみ、このマグロ漁船のお話は、齊藤正明さんからお聞きしたものです。
マグロ漁船の厳しい環境とそこで交わされる豊かなコミュニケーションの経験を元に、講演や組織改革のコンサルタントをされている方だそうです。
http://www.nextstandard.jp/

大変、面白いお話でした。
私はまだ著作を拝見したことはないですが、是非読んでみたいと思います。

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システム開発はもっとデザイン的要素が必要だと考えた

5月 23, 2010

先日、「世界を変えるデザイン」展のカンファレンスに参加して、お話を聞いてきました。

1つは「エマージング・マーケットにおけるデザインの可能性」というタイトルの、Jan Carel Diehlさんのお話。
http://exhibition.bop-design.com/event/conference_5/
もう1つは、「デザイナーができること ~DESIGN CAN CHANGE THE WORLD~」というタイトルの、Ilona de Jonghさんのお話です。
http://exhibition.bop-design.com/event/conference_4/

彼らは、BOPビジネスに関わるデザイナーです。
BOPとは、Bottom Of the Pyramidの略で、発展途上国にいる低所得者層を意味します。
BOPビジネスは、そうした発展途上国に住まう貧困地域の人々の支援を行いながら、新たなビジネスマーケットを開拓することを目的とした取り組みです。

彼女たちが、デザイナーという立場で仕事をしています。
が、その話のなかで繰り返し使われていた言葉、すなわち重要視されていた要素は、システム開発にも関連が深いと感じられるものでした。
いかにまとめてみようと思います。

<オープンマインド>
JanさんもIlonaさんも「オープンマインド」という考え方を非常に重視していました。
彼女たちは、BOPビジネスに携わる立場から、貧困地域の生活の問題をデザインによって解決しようとしています。
しかし、すばらしいデザインは、天才的なひらめき、インスピレーションにのみによっては生まれません。
むしろ、プロダクトの受け手をよく調査することこそが、ひらめき、インスピレーションの源になります。
BOPビジネスに携わる彼らの調査対象は、貧困地域とその地域に住まう人々、ということになります。
そして、この調査において重要なことは、オープンマインド、であることなのです。

異なる文化、慣習を持つ地域、そしてその地域にすまう人々との交流は、いろいろな摩擦を生みがちです。
善悪の基準が異なることもあれば、美醜の感覚が異なれば、「良い」もの、「良い」デザインというものも変わってくるでしょう。
また、使用する言葉が違えば、自分が思っていることも、相手がおもっていることも正しく通じ合うことが難しくなります。
こうした状況下で、相手を否定したり、拒絶したりすることはとても簡単です。
しかし、そうして相手の意見や考えを無視してしまえば、綿密な調査は望むべくもありません。
むしろ、それらを尊重し、積極的に学ぶ必要があるのです。

オープンマインドとは、未知の文化や考えを積極的に受け入れる広い心、そして、積極的に学ぶという謙虚さを意味しているのです。
現地での調査を重視するという、現場主義においては、このオープンマインドが基礎であり、重要な要素になると考えられているのです。

<サスティナブル(継続性)>
貧困地域と関わるビジネスは、継続性が鍵です。
たとえば、収入で考えてみましょう。
100万円というお金を1度に寄付するよりも、1万円を10ヶ月間かけて寄付したほうが、地域は安定するでしょう。
というのは、不定期に大きな収入を得るより、小額でも定期的な収入を得られたほうが、人々は生活の計画が立てやすく、金銭を貯金や投資などがしやすくなるからです。
生活の予想ができる、計画が立てられる、というのは、安心の源です。

BOPという観点からは、地域の安定というのは無視できない重要な要素です。
とりあえず、ある地域にかかわったものの、うまくいかなからといってすぐに撤退してしまうと、そのコミュニティを破壊しかねません。
一時は斬新なアイデアでうまくいっていたため、ビジネスの競合となった地元企業をつぶしてしまったものの、ビジネスとしては赤字になったため撤退する。
このことによって、地元で同様のサービスを提供できる企業がなくなり、その地域の人々はサービス自体を受けられなくなる、という事態がおこりかねません。

このような事態を防ぐためには、そもそも地元企業と競合するようなサービスをもってBOPとして提供しない、という配慮が必要でしょう。
しかし、図らずも地元企業と競合し、その企業が消滅してしまったのであれば、そのサービスを継続的に提供し続ける、という義務が生じます。

また、低コストのビジネスである、ということも重要です。
BOPという性格上、そのビジネスがどれだけ大成功しても、大もうけは期待できません。
また、そもそもビジネスが成功するか、が未知数です。
そのうえ、ビジネスは継続することを念頭におく必要もあるのです。

ですので、コスト、必要とされる経費は可能な限り低く抑え続ける必要があります。
お話の中では、初期の費用よりも、それを維持するためのコストを低く抑えることの重要性が取り上げられていました。

なにごともはじめる事は、それほど難しいことではありません。
とくにBOPのように、貧困地域という弱者に先進国の資本という強者が関わるのですから、そのハードルは相当低い、と言えます。
しかし、一度、サービスを提供したら、そのサービスの質を保ち、消費者が必要な限りサービスを提供し続ける義務があります。
これは、先進国のビジネスでも当然のように求められることです。
BOPビジネスにおいては、その地域と人々の生活を安定させるためにも、より強く継続性は求められているのです。

<すでにあるモノを利用する>
ある参加者の方が「デザインを盗まれたらどうしますか?」という質問にIlonaさんが以下のように答えました。
「それは誇りに思うべきことだ。知恵やソリューションは共有されるべきものだから。」

もちろん、「事前に連絡して欲しい」という主旨のこともおっしゃっていたので、「盗用を認めた」わけではないでしょう。
しかし、自らのアイデアを利用されることについて、金銭的な見返りをもとめていません。
むしろ、多くの場所で自分のアイデアが利用され、問題が解決されること、そして、自らのアイデアがさまざまな場面で利用され、さらに磨き上げられることを望んでいます。

この考え方は、ITの世界ではすでに一般的であるといえます。
すなわち、Linuxなどが代表するオープンソースがこの考え方に近いと思います。
また、オブジェクト指向が目指すプログラムの再利用、そして、Javaが理想とするWrite Once, Run Anywhereという思想もきわめて近いです。

デザインもコードも、それを生み出す人々のインスピレーションを源泉としている、と考えられます。
そのため、自らの生み出したものが唯一無二だと考え、そのオリジンを主張したくなります。
そして、それらを守るために自らが生み出したものを他者に利用されることを拒みたくなります。

もしくは、自らの力量と自尊心を守るため、すでに他者が生み出した素晴らしいものがあるのに、それを使用することを拒む、ということもあります。
とかく、デザインには、一般的にデザイナーという個人の才能や霊感によって生み出される、というイメージがあります。
また、デザイナー自身も、みずからの手で新たなプロダクトを生み出したい、という欲もあるでしょう。
そのため、「何でも自分で作り出す」という意識をもちがちです。
しかし、その気持ちを抑えて、利用できそうなものは、有効に利用すべきなのです。

すでにあるモノを自らでイチから生み出す必要はないのです。
むしろ、利用すべきなのです。
すでにあるモノに自らのアイデアをつけたしたり、すであるモノ同士を結びつけたり、すでにあるモノの欠点を解消したりすることも視野に入れてデザインすべきなのです。

<デザインとは目的を達成するためのより良いプロセスをつくること>
現代において、デザイン、という言葉は多くの領域にまたがって使用されています。
単に魅力的、奇抜なカタチを生み出すことを目的としませんし、またなにか物をつくり出すことを目的としません。

では、デザインとは何なのでしょうか?
私がお二人の話を聞いて思ったのは、
デザインとは、

目的を達成するためのより良いプロセスをつくること

なのだ、ということです。
美しいカタチのプロダクトデザインも、BOPビジネスにおける地域への取り組みも、目的が存在します。
たとえば、美しいオーブントースターはパンをトーストにすることを目的としています。
また、JanさんのPeePooは、地域の衛生状態の改善を目的としています。
しかし、その目的を達成するためには、トースターやPeePooが不可欠なのではありません。

目的にいたる方法いくつもあります。
トーストはフライパンで焼いてもいいわけですし、衛生状態を解決するには下水を整備し各家庭にトイレを設置しても良いのです。
ただ、それらの方法はデザイナーにとっても、そのプロダクトを受け取る人々にとっても最適なプロセスではなかったのです。
パンを焼く人は、焼いた後わざわざフライパンを洗いたくもなければ、硬質で面白みのない形のトースターでパンを焼いても良い気持ちになれないのです。
また、PeePooを使う人々は、下水を引いて個別の家にトイレを作るお金もなければ、時間もありませんし、解決したい問題が他にも山ほどあるのです。

ですから、デザイナーは、プロダクトの受け手、もしくはデザイナーが届けたいと思っている対象を調査し、最適なプロセスを提示するのです。
そして、提示する方法がモノのカタチを決めることであったり、ものごとのプロセスを決めることであったりするのです。

デザイナーの仕事であるデザインとは、目的を達成することだけでなく、目的に到達するためのプロセスをより良くつくりあげることなのです。
このように考えると、デザインとシステム開発、それも受託システム開発の目的は非常に似ているといえます。
ビジネスアプリケーションもまた、アプリケーションを使う人々の業務プロセスをより良くすることを目的としているからです。
受託システム開発においては、まだ「デザイン」が強く意識されているとはいいがたいです。
ですが、「デザイナー」の思考方法やプロダクトを生み出す過程から学習することがたくさんあるはずです。

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月を目指して(5)~ちょっと未来(さき)のプロジェクトのテストに合格した~

5月 16, 2010

先日、『ちょっと未来(さき)のプロジェクトに参加して、自分の身が心配になる』というエントリなかで、プロジェクトに参加するための試験を受けた、という話を書きました。
このプロジェクトでは、オープン系の技術、そして、アジャイル開発手法を取り入れる予定であり、私としては是非、携わりたい、と思っていました。
そして、その試験の結果が私のところに届き、見事に合格!しておりました。

テストの結果が詳しくフィードバックされたわけではないので、実際、自分のどのような点が評価されたかはわかりません。
唯一わかっていることは、スキル自体は低い、という評価を受けたことです。
いままで汎用機の開発にだけ関わっていたとはいえ、技術者としては情けない話です。

また、実際にプロジェクトに参加するまでまだまだ時間があるため、本当にプロジェクトに携われるか、という点は不確定です。
とはいえ、オープン系の技術、アジャイルという開発手法、こうした要素を取り入れたプロジェクトに関われる機会が得られそうなことを、素直にうれしいと感じています。
ここ2年来、勉強をしてきたことを活かしながら働く機会がすこし私に近づいてきたのです。

ただ喜んでばかりもいられません。
オープン系の技術については、疎いのは事実です。
そして、開発者である以上、「技術的な卓越」がもとめられるのがアジャイル開発です。
ウォーターフォール開発において、そのプロセス自体に「人」の要素が含まれていないのと違い、アジャイル開発は、そのプロセスや管理において「人」という要素にフォーカスを当てています。
そのため、その点を重視した文脈でアジャイル開発は語られがちです。
たとえば、InfoQでは、「ソフトスキル(Soft Skill)が最も重要」というエントリが紹介されています。

エントリを一読すると、たしかにソフトスキル=人としての能力、要素と捉え、それが重要だと、考えがちです。
確かにそれは正しい解釈です。
しかし、技術力よりコミュニケーション能力のような人の要素が重要なのではなく、両方が重要である、といっているに過ぎません。
むしろ、技術力の上に、さらに人の要素が求められているだけなのです。
たとえば、エントリの最後にも以下の文章が紹介されています。

・他のチームとの信頼を構築しよう。小さな同意の実績を積み重ねて,信頼の歴史を築くことだ。信頼に必要なのは a) 能力,b) 実績,そして c) 誠意 なのだ。

顧客との信頼に言及してはいませんが、a)の部分に「能力」があげられていることは、とても印象的です。
信頼の第一条件は、「能力」なのです。
この能力には、コミュニケーション能力も含まれているいるでしょう。
そして、技術的な知識やプログラミング、システム設計の技術も含まれているはずです。

技術者である以上、「技術力をもっている」ということは大前提です。
今回、ちょっと先のプロジェクトに関われるという機会を得たことは、こうした前提と前提を満たしていない自分、という事実と向き合う機会でもあります。

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ちょっと未来(さき)のプロジェクトに参加して、自分の身が心配になる

5月 12, 2010

今日は、少し未来のシステム開発プロジェクトへ参加してきました。
といっても実際に作業をしてきたわけではありません。
そのプロジェクトに参加するための試験に参加してきました。

また、ちょっと未来のプロジェクトとは、単にこの数ヶ月先に参加するかもしれないプロジェクト、というわけではありません。
ちょっと未来とは、この数年先ことであり、そのときに主流となっているであろうシステム開発のプロジェクトの姿を指しています。
ただ、「主流となっているであろう」というのは、私の期待をこめた意見ですが。

現行のシステムの受託開発プロジェクトは、受託した会社(これを元請会社といったりします)が、その会社内のリソースでプロジェクトを完成させようとします。
どうしても、人が足りない、というときだけ、パートナーさん(外注さん)を雇い入れて、対応します。
しかし、今日、私が試験を受けたプロジェクトでは、自社のリソースにこだわらずに社内外から、そのプロジェクトに適した人材を募りプロジェクトを完成させようとします。
ここにちょっと未来的な雰囲気を感じたわけです。

優秀な才能をアドホックに募りプロジェクトを完成させよう、という考えは今までなかったわけでありません。
たとえば、経営戦略系のコンサルティング会社、コンサルティングファームなどはその考え方をもっているでしょう。
彼らは、プロジェクトごとに適した人材をアドホックに確保し、プロジェクトを完成させようとします。
しかし、あくまでも人を募るのは、社内、ファーム内にとどまります。
才能豊かな人たちを社内に確保しているとはいえ、社内外から人を募るという考えに比べれば枠は小さいといえます。

また、会社同士が契約を結び適した人を出し合う、という形態は単なる人材派遣ではないか、ともいえます。
しかし、従来の派遣契約では、基本的に個人には価値はおかれません。
まずもって、プロジェクトに参加するために試験など受けません。
そのため、報酬はその人の能力によるのではなく、プロジェクトマネージャやプログラマという役割によってのみ報酬が決められます。
たとえば、プログラマという役割においても、レベルの上下があるはずですが、そうしたことは判断されません。

社内外からプロジェクトに適した人材を確保する、という考え方が主流化するとどうなるでしょうか。
おそらく、会社は、人材と仕事を引き合わせる手助けをする、プラットフォームとしての役割を担うようになるはずです。

現在の会社の役割は、社員に仕事を与えることです。
会社が作り出した仕事や受注したプロジェクトを細分化して、社員に分け与えるのが仕事です。

しかし、会社がプラットフォーム化を進めるとその役割が変わります。
会社は、所属する個人が利用できるリソースを提供する存在になります。
たとえば、人材、資金、契約や費用管理など事務機能、会社間のつながり、などがそのリソースです。
個人はそのリソースを利用して自分で仕事をつくり、その仕事を完成させてゆくようになるのです。
会社、そうしたたくさんの個人があつまったプラットフォームになるのです。
私は、そのように期待をこめて想像しています。

私の場合は会社と会社同士の関係により、今回の機会に恵まれました。
プラットフォームは、今所属している会社だったわけです。
しかし、それ以外にもプラットフォームは存在します。
たとえば、勉強会のようなコミュニティ、twitterのようなwebサービス、日本ではまだ根付いてはいませんがfacebookもその可能性を秘めています。
コミュニティやtwitterでは、数は少ないのでしょうが、すで人とプロジェクトを結びつける動きがみられます。
twitterでは、ときどき「~に興味のある開発者募集!」などいうつぶやきを見かけます。

そして、この流れが主流化してくると、より個人の価値が重要になります。
なぜなら、個人個人が、自らの仕事を作り出し、完成させられることが求められるからです。

個人の価値としては、
自分が何がしたいのか、という興味
自分が何ができるのか、という技術力
自分が誰から知られているのか、という人脈
自分が誰を知っているのか、という人的な知識
他人とすばやく友好な関係を築ける、コミュニケーション能力
などがあげられるでしょう。

私自身、上記のような個人の価値が十分自分に備わっているようには思えません。
それがちょっと不安に思えます。
みなさんは、いかがでしょうか。

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現代アートの魅力は作品と鑑賞者との対話にある、と考えた

5月 4, 2010

現代アートの面白さ、それは作品への解釈の自由度にあります。
もっといえば、現代アートの楽しみは、作品と鑑賞者との対話、インタラクティブ性にあるのだと思います。

古典といわれる芸術作品は、とてもわかりやすい、という特徴があります。
わかりやすい、というのは、テーマと描かれる作品が理解しやすいということです。
たとえば、ルーベンスの『十字架降架』という作品があります。

絶命したキリストが十字架から降ろされる場面を描いた作品です。
この作品の意味は、「十字架降架」というタイトルではっきりと示されています。
タイトルから、場面の中心に描かれている、ぐったりとして白い布に包まれようとしている男性がキリストであることもわかります。
もうすこしキリスト教の教義、聖書に詳しければ、キリストの周囲を取り囲んでいる人物たちが誰なのか、がわかるはずです。
作品の意味を理解するには、宗教の教義や西洋の歴史について知識をもつ必要があります。
ですが、場面に描かれている人物なのか、物なのか、ということがわかりやすく描かれています。

翻って、現代アートはどうでしょうか。
今回の上野の森美術館絵画大賞を受賞した作品、根木悟の『TRAVELS#2』は抽象画です。

抽象画といえば、ピカソやブラックで有名なキュビスムと同列に「意味がわからない」という感想がもたれがちなジャンルの1つです。

これらの作品の「意味のわからなさ」というのは、描かれているのが
人物なのか、物なのか、
人物だとして誰なのか、男なのか、女なのか、
物だとして十字架なのか布なのか、
このようなことがわかりにくい、もしくはまったくわからない、ということに起因します。

また、タイトルも意味がわからない、もしくは、描かれているものとのつながりがわかりにくい、という原因もあります。
抽象画では、カンディンスキーの『コンポジション』シリーズが有名です。
描いてあるのは、色とりどりの図形と線。ときどき、何かを模したと思われる図像が出現するだけです。
タイトルの「コンポジション」は、構図、構成という意味をもっています。しかし、それ以上の意味はありません。
そのため、鑑賞者は、描かれているものが構図、構成であることしか理解できません。
描かれたものが構図、構成が、「なにの構図、構成なのか」は理解できないのです。

このような状況において、作品の鑑賞者は、作者に与えられたタイトルと作品の形相をもとに、作品を理解しようと積極的に参加することになります。
作家が作品を理解するための手がかりを完全に提示しないため、その欠落を補うために自分の知性や感性を働かせようとするのです。
砕けた言い方をすると、自分なりに作品を理解しようするわけです。

ルーベンスの作品が代表する古典作品は、完成されている、といえます。
作家は、タイトルと創作物のみによって、作品がいったい何をあらわしているか、を完全に説明しようとします。
その作品は、鑑賞者による別の解釈が差し挟む余地のない、世界を創作するのです。

一方で、抽象画という作品は、未完成である、といえます。
もちろん、作家自身は、その作品の創作を終了した時点で、完成させています。
しかし、タイトルもモチーフもわかりづらい作品は、鑑賞者によるさまざまな解釈が可能です。
そのため、作品は、受け手である鑑賞者の解釈により、作品の意味や魅力を変えられます。世界を変えることができるのです。
結果、その作品は、受け手である鑑賞者により完成させられる、ともいえます。
この考え方は、作家の創作性を無視しすぎている、かもしれませんが。

現代アートは抽象画よりも、作品そのもののテーマやモチーフがより抽象化しています。
上野の森美術館大賞の各賞の受賞作品でも、根木悟の『TRAVELS #2』、西原東洋の『FREE STYLE』、佐伯勝司の『女.100.1』は、かなり抽象的な作品です。
<作品はこちらか らご覧ください>

各作品のタイトルは、具体的な意味をもっていて示唆的ではあります。が、鑑賞者が作者の意図を理解するにいたるまでの材料は提供していません。

こうした、現代アートの抽象化は、作家の個性と内面の重視と表現形式の広がりによるものでしょう。
現代の作家は、作品が「どのように鑑賞者に受け止められるか」という点よりも、「自分の感性や思想がどれだけ表現できたか」という点を重視しています。
上記の受賞作品も作家自身が好む表現形式で、自分が感心を抱いているテーマやモチーフを描いています。ようするに、誰かに頼まれて描いているわけではなく、作家自身の「描きたい」という欲望に従って描いているのです。

表現形式も多様化してます。
デュシャンの『』、ダミアン・ハーストの『NaturalHistory』シリーズ、リクリット・ティーラワニットの『パッタイ』など、絵画や彫刻などという枠に収まらない作品が多数あります。

現代アートのこうした多様性は、「意味不明」と称される原因になっています。
しかし、鑑賞者からすると「意味不明な作品に意味を見出す」という面白みの源でもあります。
それは、作品を楽しむ自由を鑑賞者に与えてくれるのです。

「意味不明」と切り捨ててしまえばそれまでの作品たちを鑑賞し、自分自身の知性や感性によって作者がこめた思いや感性を汲み取ろうとすること。
また、作者すら意図しなかった作品の魅力を作り出すこと。
このように、作品と鑑賞を通じた対話を楽しむこと、それこそが現代アートの楽しみ、なのです。

【会場情報】
◆上野の森美術館-「第28回 上野の森美術館大賞」展
http://www.ueno-mori.org/taisho/28/visual-index.html
◆TAB-「第28回 上野の森美術館大賞展」
http://www.tokyoartbeat.com/event/2010/5AF9

【次の予定】
◆森美術館-「六本木クロッシング」展
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html
◆TAB-「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」展
http://www.tokyoartbeat.com/event/2010/2976

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