Archive for 2010年8月

アーティストの条件

8月 26, 2010

細部まで描かれた柱や壁の細工や人物が身につけた装飾品。
そして、それらを幻想的で彩る青色や金色。
中心にいる病的なまで白く艶めかしい女性と金色に光り輝く宙に浮いた生首。
『出現』というギュスターヴ・モローという作品は、幻想的であると同時に、描いたアーティストの圧倒的な技芸を感じさせる作品です。

この作品は、宗教史においてにおいて有名なサロメとそのサロメの願いによって斬首されることになった洗礼者ヨハネをモティーフとした作品です。
そして、ギュスターヴ・モローはこのサロメをモティーフに、複数の絵画を残しています。
それは、サロメ、というモティーフを通じて「表現したい何か」があったからでしょう。
そうした作者の意図、というのは理解することはもちろん、作品を鑑賞することをつうじて想像することにすら、勉強が必要です。
たとえば、作品に「描かれている人物は誰か」、そして、「その人物はどのよう人物であるか」というようなことを知らなければいけません。

しかし、『出現』をはじめとしたギュスターヴ・モローの作品の凄さは、知識を必要とする一方、予備知識がなくとも十分に魅力をかんじられることです。
細部まで描きこまれた背景や装飾品、幻想的な配色は、視覚的な快を鑑賞者に与えます。
そして、その作品を生み出した、素人では真似のできない技芸に鑑賞者は、圧倒され、尊敬の念を抱くのです。
つまり、作品が表現している「なにか」、作家が表現しようとしている「なにか」をたとえ理解できなくても、私たちは、その作家のもつ技術の卓越さに驚き、感動することができるのです。

一方、フランク・ステラの「ブラックペインティング」と称される作品のなかに『理知と混沌の結婚II』という作品があります。
ブラックペインティングと称されるように、その絵画はほとんど黒一色であり、機械的に白のストライプが走っているだけです。
それもそのはずで、この作品は、黒い線をカンヴァスに機械的に、かつ正確に引いていっただけの作品なのです。
大半の人は、この作品を一目見ただけでは「なぜ素晴らしいのか」を理解出来ないでしょうし、「美的ななにか」を感じることはできないでしょう。
たしかに正確に黒い線が引かれていますが、デッサンができない素人でもなんとか描けそうな作品です。

しかし、このフランク・ステラの作品は、近・現代の美術史にとって欠かすことのできない重要な作品なのです。
視覚的な快、という意味では人それぞれ感じることはあるでしょうが、素人目からすると美しくもなく、技芸に圧倒されることもない作品が、美術史に残る理由はただ1つです。
それは、その当時の美術界が抱えていた「難題」に答えを提示するものであったからです。

過去の行いやモノよりも、現代の行いやモノが優れているという考えがあります。
それが本当であるか否かは別として、そうした考えは「進歩史観」と呼ばれます。
美術の世界においても、過去の作品は確かに素晴らしいが現代の作品は、その素晴らしさを乗り越えて価値を示さなければならない、という考えがあります。
フランク・ステラは、彼が活躍した時代に美術界が抱えていた、絵画における

画面という物理的な条件と、そこに描かれる内容とを、どうやって無理なく摺り合わせるか
『反アート入門』(p.51)

という問題を見事に解決したのです。
そのために、作品として、またその作者のとしてフランク・ステラの名は長い美術史の歴史に残ったのです。

アーティストといえば、

自らの才能と感性を表現する
自ら、優れた技芸をもちモノを作り上げる

という存在であると考えがちです。
そのため、アーティスト、を標榜していると、とりわけ独りよがりの価値観で行動しがちになります。
それこそが純粋で、高潔なアーティストの姿である、という思い込みがあるからです。

ですが、フランク・ステラを見れば、アーティストとは、共通の問題に取り組んでいる人たちにたいして

答えを提示し、その答えの価値を認めさせる

ことに成功した人たちだということが分かります。
つまり、優れた技芸だけでもそのものにたいして情熱を持っていたり、作品に込めたりしただけでもアーティスト足りえないのです。
むしろ、私心とは関係なく、美術という長い歴史を持つ存在の発展に貢献したからこそ、アーティストと呼ばれているのです。

何かにこだわりを持ち、それを貫くことに多くの人達は、心を奪われます。
なぜなら、強い信念や美意識をもち、それを貫くことを尊いと感じているからです。
そして、仕事では、それをコードやドキュメント、行動を通じて表現することに囚われることがあります。
そのような行いを、アーティストを自称することで正当化しようとするときがあります。

しかし、フランク・ステラを見るとわかるとおり、本当のアーティストは自らの信念や美意識にこだわり、それを表現することになんの価値も見出していません。
むしろ、「自分が関わるものごとの発展に貢献しているか」という視点により行動し、成果を生み出しているのです。

自らのアイディアや価値観にとらわれそうになったとき、このアーティストの条件を思い出してみたいと思います。

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プログラマーとマン・レイの相似

8月 15, 2010

ブログを書くこと、スポーツをすること、自らを着飾ること、音楽を奏でること。
こうしたことにおいて私たちは、自己や美意識を表現しようという抑えがたい欲求をいだきます。
私生活ではもちろんのこと、仕事でも同様です。

例えば、私はシステムエンジニアです。
システムエンジニアとして、たとえどんな言語を使用していたとしても、コードを書くときはアーティストであろうとします。
コードを書くこと、プログラムを生み出すことにたいする哲学と美意識をその作業とプログラムに込めようとします。
そして、ひとたびプログラムを誰かが見る、と耳にしたら、自らの哲学と美にたいする自信を感じつつ、批判や嘲りを受けるかもしれないという恐怖にかられるのです。

とはいえ、私は同僚などからとりわけコードを書くことにこだわりを持っているとは思われていません。
そして、自身でもコードを書くことそのものに強いこだわり感じていると思ってはいないのです。
こんな人間ですら、プログラムを書くときには上記のようなアーティストであろうという感情を抱くのです。

この業界は多少はあれど、コードを書くときにはすべての人はアーティストなのです。

むしろ、アーティストとしての意識の強い人は、私のようにシステムエンジニアなどとは名乗らず、プログラマーと名乗るでしょう。
また、プログラマーは私のように恐怖など感じないでしょう。
むしろ、自らの才能と作品を評価しようとしない周囲に憤りを感じ、自らの作品を誇ります。
しかし、周囲には気付かれないように、その作品をさらに磨き上げる努力を惜しまないのです。

私が、国立新美術館で目にしたマン・レイと作品と生き様は、このプログラマーというIT業界の革新を支える人たちを思わせます。

マン・レイの魅力は、その自由な活動とアーティストとしての強烈な意識です。
ヴォーグなど、今もなお存在するファッション誌の写真家として成功し、ピカソ、ヘミングウェイ、ジャン・コクトーなど名だたる著名人たちを被写体としてなお、彼は画家としての成功を夢見ました。
そして、「写真は芸術ではない。私は写真家でもない。」という言葉を残しています。
マン・レイは単に、被写体を記録する道具として写真を捉え、レイヨグラフ、ソラリゼーションとよばれる作品群を創り上げてなお、彼は自らの写真を芸術とすることをよしとしなかったのです。

そして、自由に平面と立体、写実と創作の世界を自由に行き来した人でもあります。
絵画や写真などの平面の世界、オブジェやチェスの駒のデザインといった立体の世界。
正確に姿を写しとる写真の世界、ダダ、シュールレアリスムという無意識と幻想の世界。
マン・レイはその興味と意欲の向くままに活動を行ないました。

マン・レイは、アーティストであるという強烈な意識を持ち続け、その創作意欲と表現を抑えこむようなことをしませんでした。
一時期は、活動の中心であり、名声の源泉であった写真から遠ざかり、絵画に取り組んだ時期もあります。
結果、死してなお、写真以外の多くの作品と共に「マン・レイ」の名は、シュールレアリスム、ダダの中心的なアーティストとして残ることになりました。

マン・レイは、このアーティストとしての評価を受ける自身の未来を予言しています。

ワインも新しいうちは酸っぱいが、年を経るうちにまろやかな味になっていく。それと同じように、写真も初めは単なる技術に過ぎないが、やがては本物の芸術になるのだろう

自らが芸術ではない、とした写真について、マン・レイはなぜ、なお芸術となりうると言ったのでしょうか。
私には、アーティストである彼の自尊心がこの言葉を言わせたように思えます。
すなわち、アーティストである自分が写真という技術に関わったのだから将来はきっと芸術に昇華する違いない、と、

私の業界にもアーティストであろうとする、システムエンジニアとプログラマーがたくさんいます。
彼らのそうした意識こそが、写真と同様にプログラムにおいても、マン・レイの予言を実現させる日、すなわち、プログラムとそれを生み出すプログラミング、コーディングという行為を芸術に昇華させる日がくるかもしません。

しかし、受託システム開発においてお客様の役に立つのか。
これはまた別のお話し、でしょうか。

【会場情報】
◆国立新美術館-「マン・レイ」展
http://man-ray.com/
◆TAB-マン・レイ 「知られざる創作の秘密」 展
http://www.tokyoartbeat.com/event/2010/E879

【作家情報】
◆マン・レイ(Man Ray)
Wikipedia-マン・レイ

Wikipedia-Man Ray

【次の予定】
◆未定

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都心で純度100パーセントの暗闇から刺激を受ける

8月 8, 2010

先日、外苑前近くで開催中の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」へ行ってきました。
一般の参加費は5000円、と結構お高めですが、その価値がある新鮮な経験ができました。

会場は、純度100パーセントの暗闇。
その中を複数の人の参加者の人達と、視覚障がい者のアテンダントさんの案内にしたがって歩きます。

中でどのようなことが出来るのか、実際に体験いただくとして、純度100パーセントの暗闇の世界は衝撃的です。
純度100パーセントの暗闇に人間の目はなれません。
いつまでたっても見えるのは暗い闇です。
ときどき目の前の物体が見えたように思うのですが、気のせいにすぎません。

また、空間の広がりを認識することもできません。
なんとなく、「行き止まりかな」と思って目の前の空間に手をさし出しても、その先に暗闇に手が沈んでゆくだけです。

見えたように思う、モノ。
途切れるよう思われる空間。
そうしたものは、想像に過ぎません。
視覚からの情報が遮断されたために、人間の脳は想像によって欠けた情報を補おうとするのでしょう。

また、視覚が遮断されると匂いや音、触感にも敏感になります。
そして、それらの刺激がまた脳を刺激して、新たな想像を巡らせるきっかけを作ります。

草わらの匂いを感じたり、水に触れたり、草木に触れたりすると、それらのモノがどのような状態なのかを頭に描こうとします。
また、それらのモノがある空間がいったいどのようになっているのか、その状態を頭に描いて理解しようとします。
視覚の情報が遮断されたことにより、普段よりもイマジネーションを使用して、世界と接することになるのです。

なにより、暗闇にいると普段より多くの言葉を発して周囲とコミュニケーションをすることが新鮮です。
暗闇のなかでは声が重要な手がかりだからです。
上記のように、空間を想像しようとしてもそれは想像に過ぎす、事実ではありません。
そのことに気づくと、暗闇では声も出さずに無闇やたらに行動することが危険であることに気づきます。

また、声を出さないと自分のことを周囲の人たちが認識できないことにも気付かされます。
このような感覚は恐怖をうみます。
実際はイベントなので、暗闇のなかでひとり取り残されることはないのでしょうが、それでも少しでも人との交流が途絶えると恐ろしいのです。
だからこそ声を出して自分の存在を周囲の人達に知ってもらおうとします。
そして、周囲の人たちの呼びかけの声にも応えようとします。

発案者である哲学博士のアンドレアス・ハイネッケ氏(アンドレアス氏といいます)は、以下のようにダイアログ・イン・ザ・ダークの価値を述べています。

現在の物質的に豊かになった世の中では、人間は倫理と人道的な価値観とを損ないがちであり、利己主義になる。
しかし暗闇のなかで人間は誰でも平等であり、それぞれの中にある根本的な価値観を思い出し、謙虚さや感謝を甦らせることができる。
困難に直面しても、お互い協力し合えば一緒に乗り越えられることを誰でも知っている。
それをダイアログ・イン・ザ・ダークを通して実際に体験できる。
http://www.dialoginthedark.com/forv/int1.html

たっぷり90分間このイベントに参加すると、アンドレアス氏の言うこのイベントの価値を知ることができるでしょう。
なお、私は7人で参加しました。
しかし、それよりも少ない人数で参加すると他の参加者の方達と一緒に回ることができるようです。
初めて会った人たちと暗闇の中のコミュニケーションを楽しむの良いかもしれませんね。
暗闇から刺激をうけて想像力をかきたてられたい方。
一緒に参加してコミュニケーションを深めたい人がいる方。
そんな方には、おすすめです。

【会場情報】
◆Dialog in the Dark Tokyo
http://www.dialoginthedark.com/

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Scalaメモ(1)

8月 1, 2010

最近、scalaという言語に興味をもちました。
せっかくなので、知識の整理を兼ねてメモを残そうと思います。
最初はインストールまでの作業です。

続くかわかりませんが、可能なかぎり継続してゆきたい、と思います。

<前提>
JDKおよび、eclipseはインストール済み。

1.scalaのランタイムをインストールする
さっそくscalaのランタイムをダウンロードしましょう。
サイトは、

http://www.scala-lang.org/node/211

です。
現在のversionは、2.8.0です。
それぞれ、ご使用のOSに合わせたファイルをダウンロードします。
私がwindowsを使用しているので、3番目のファイルをダウンロードしました。

私は使用しませんでしたが、一番上の「IzPack Installer」が便利かもしれません。
おそらく、環境変数の設定あたりもしてくれるのではないでしょうか。
allplatforms、とも書いてあるので、windows以外でも大丈夫だと思います。

ダウンロード後、好きな場所にzipファイルを展開します。

ちなみに、scalaはJAVAのライブラリとJVM(Java Virtual Machine)を使用します。
そのため、JDKを含めてインストールが必要です。

2.環境変数でSCALA_HOMEおよびPATHを設定
次は、コマンドプロンプトなどからscalaのコマンドが実行できるように、環境変数を設定します。
環境変数は、SCALA_HOMEとPATHの2つを設定します。

・SCALA_HOME
1.で展開したScalaのファイルを指定します。
cドライブのProgram Filesに展開した場合は、以下のように設定します。
ex) C:\Program Files\scala-2.8.0.final

・PATH
1.で展開したScalaのbinフォルダを指定します。
SCALA_HOMEを設定したので、それを活かして以下のように設定します。
ex) %SCALA_HOME\bin

ちなみに環境変数は、Vistaの場合は、
コントロールパネルで<システム>をダブルクリック
→ フォルダ左の「タスク」から<システム詳細>をクリック
→ タブの「詳細設定」をクリック
→ 表示された内容の一番下に<環境変数>
があります。

3.インストールおよび環境変数の設定を確認する
コマンドプロンプトを起動して、

scala

と打ち込んでみます。
以下のメッセージが出力されると、インストールおよび環境変数の設定は成功しています。

Welcome to Scala version 2.8.0.final (Java HotSpot(TM) Client VM, Java 1.6.0_20)
.
Type in expressions to have them evaluated.
Type :help for more information.

ちなみに、

‘scala’ は、内部コマンドまたは外部コマンド、
操作可能なプログラムまたはバッチ ファイルとして認識されていません。

と表示される場合は、環境変数の設定が誤っている可能性があります。
設定内容を確認してみてください。

以上で簡単ながらScalaのランタイムはインストール完了です。
次回は、IDEの設定などを行なおう、と思います。

最近は、あんまり美術関連の更新ができなくなってきたなぁ。うーん。
いや、別に良いんですがね。