アーティストの条件

細部まで描かれた柱や壁の細工や人物が身につけた装飾品。
そして、それらを幻想的で彩る青色や金色。
中心にいる病的なまで白く艶めかしい女性と金色に光り輝く宙に浮いた生首。
『出現』というギュスターヴ・モローという作品は、幻想的であると同時に、描いたアーティストの圧倒的な技芸を感じさせる作品です。

この作品は、宗教史においてにおいて有名なサロメとそのサロメの願いによって斬首されることになった洗礼者ヨハネをモティーフとした作品です。
そして、ギュスターヴ・モローはこのサロメをモティーフに、複数の絵画を残しています。
それは、サロメ、というモティーフを通じて「表現したい何か」があったからでしょう。
そうした作者の意図、というのは理解することはもちろん、作品を鑑賞することをつうじて想像することにすら、勉強が必要です。
たとえば、作品に「描かれている人物は誰か」、そして、「その人物はどのよう人物であるか」というようなことを知らなければいけません。

しかし、『出現』をはじめとしたギュスターヴ・モローの作品の凄さは、知識を必要とする一方、予備知識がなくとも十分に魅力をかんじられることです。
細部まで描きこまれた背景や装飾品、幻想的な配色は、視覚的な快を鑑賞者に与えます。
そして、その作品を生み出した、素人では真似のできない技芸に鑑賞者は、圧倒され、尊敬の念を抱くのです。
つまり、作品が表現している「なにか」、作家が表現しようとしている「なにか」をたとえ理解できなくても、私たちは、その作家のもつ技術の卓越さに驚き、感動することができるのです。

一方、フランク・ステラの「ブラックペインティング」と称される作品のなかに『理知と混沌の結婚II』という作品があります。
ブラックペインティングと称されるように、その絵画はほとんど黒一色であり、機械的に白のストライプが走っているだけです。
それもそのはずで、この作品は、黒い線をカンヴァスに機械的に、かつ正確に引いていっただけの作品なのです。
大半の人は、この作品を一目見ただけでは「なぜ素晴らしいのか」を理解出来ないでしょうし、「美的ななにか」を感じることはできないでしょう。
たしかに正確に黒い線が引かれていますが、デッサンができない素人でもなんとか描けそうな作品です。

しかし、このフランク・ステラの作品は、近・現代の美術史にとって欠かすことのできない重要な作品なのです。
視覚的な快、という意味では人それぞれ感じることはあるでしょうが、素人目からすると美しくもなく、技芸に圧倒されることもない作品が、美術史に残る理由はただ1つです。
それは、その当時の美術界が抱えていた「難題」に答えを提示するものであったからです。

過去の行いやモノよりも、現代の行いやモノが優れているという考えがあります。
それが本当であるか否かは別として、そうした考えは「進歩史観」と呼ばれます。
美術の世界においても、過去の作品は確かに素晴らしいが現代の作品は、その素晴らしさを乗り越えて価値を示さなければならない、という考えがあります。
フランク・ステラは、彼が活躍した時代に美術界が抱えていた、絵画における

画面という物理的な条件と、そこに描かれる内容とを、どうやって無理なく摺り合わせるか
『反アート入門』(p.51)

という問題を見事に解決したのです。
そのために、作品として、またその作者のとしてフランク・ステラの名は長い美術史の歴史に残ったのです。

アーティストといえば、

自らの才能と感性を表現する
自ら、優れた技芸をもちモノを作り上げる

という存在であると考えがちです。
そのため、アーティスト、を標榜していると、とりわけ独りよがりの価値観で行動しがちになります。
それこそが純粋で、高潔なアーティストの姿である、という思い込みがあるからです。

ですが、フランク・ステラを見れば、アーティストとは、共通の問題に取り組んでいる人たちにたいして

答えを提示し、その答えの価値を認めさせる

ことに成功した人たちだということが分かります。
つまり、優れた技芸だけでもそのものにたいして情熱を持っていたり、作品に込めたりしただけでもアーティスト足りえないのです。
むしろ、私心とは関係なく、美術という長い歴史を持つ存在の発展に貢献したからこそ、アーティストと呼ばれているのです。

何かにこだわりを持ち、それを貫くことに多くの人達は、心を奪われます。
なぜなら、強い信念や美意識をもち、それを貫くことを尊いと感じているからです。
そして、仕事では、それをコードやドキュメント、行動を通じて表現することに囚われることがあります。
そのような行いを、アーティストを自称することで正当化しようとするときがあります。

しかし、フランク・ステラを見るとわかるとおり、本当のアーティストは自らの信念や美意識にこだわり、それを表現することになんの価値も見出していません。
むしろ、「自分が関わるものごとの発展に貢献しているか」という視点により行動し、成果を生み出しているのです。

自らのアイディアや価値観にとらわれそうになったとき、このアーティストの条件を思い出してみたいと思います。

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