電子化されることで書籍の最小単位はどうなるのか

書籍が電子化されるにあたり、一番、悩ましい問題は、
「書き手にとって電子化されるメリットはなにか」
ということがわからない、ということにあります。
ここでいう書き手は、というと本や雑誌の記事を書く人たちだけではありません。

仮に、本や雑誌が文字情報を中心に構成されるもの、と考えてみます。
本や雑誌などは、文字情報をつくりあげる作家やライターと呼ばれる人たちがテキストを書けばおわりではありません。
表紙を考えたり、や本文の文字情報を見やすいように配置するレイアウトを考えたり、文字情報を装飾するといわれる行為が行われます。

こうした行為にたずさわるひとたちを、書き手と呼ぶとすれば、編集やそれに携わる人たちにとっても、書籍が電子化されるメリットは描けないのです。
ようするに、電子化されることによって、書き手たちが
「得をする。稼げる。」
と思わされるような、将来像が見えてこないのです。

たとえば、よく言われるのは「印刷が不要になるで絶版がなくなる」という意見があります。

いままで作家や編集者が思い入れがあり、売りたくて仕方がない作品があっても、作品を印刷しなければ売れませんでした。
そして、印刷の発行部数は「1冊から」というわけにはいきません。
1度に印刷する数は、おそらくロット単位できまり、たとえば最低100冊から、ということになってしまいます。

ようするに、「この本がほしい!」と1人の読者が熱烈に思っていても、そして、出版社が知っていたとしてもその本は印刷されません。
出版社がたとえ文化の担い手であっても、商売をしている以上、売れるかわかならい99冊の本の在庫を持つわけにいきません。

しかし、印刷が不要になればどうでしょうか。
先に最低100冊として仮定した数量が販売の制約にはなりません。
ほしいと思っている1人読者に1冊の本が販売できるのです。
今まで売りたくても売れなかった書籍、売れるかどうかわからない書籍を売ることができるようになるのです。
こうしたことは、書き手たちにとって、ビジネスチャンスを生み出します。

ただ、どれだけ絶版本が読者に求められているでしょう。
そして、絶版本を販売できることがどれだけ書き手の儲けにつながるでしょうか。
もしかしたら、出版社など大きい単位では儲けを上げることは可能かもしれません。
しかし、書き手の個人が生活できるほど稼げる、という未来は見えてきません。

ここでデジタル化された商品を扱う類似のビジネスを考えてみます。

最初に思い浮かべられるのは「音楽」でしょう。
しかし、デジタル化されて以後の音楽業界は「元気がない」という印象が非常に強くなっています。
すくなからず、電子化の恩恵を受けたのは、音楽を配信している一部の企業だけが儲けているように見えます。

音楽業界が陥った状況に、書籍も陥るのではないか。
一番利益を確保すべき書き手が確保できず、それを配信しているだけの企業が儲ける状況になるのではないか。
それは、苦労して創り上げた作品、コンテンツが搾取がさくしゅされるのではないか。
こうした疑念や不安を、書き手の人たちは抱いているように思います。

そもそも、音楽業界には、どうしてこのようなことが起きたのでしょうか。
『ブックビジネス2.0』のなかで、津田大輔さんは次のように仰っています。

本とCDが決定的に違う点の一つは、音楽の場合、CDからネット配信への意向によって、「アルバム」というものが完全に解体されてしまったことです。
アルバムという、十数曲の単位で売るからこそ付加価値があったものが、一曲一曲へとバラバラに解体されてしまったことは悲劇ですが、本の場合、そのようなことは起りにくい。(p.26)

アルバム、という販売形態がなくなったことが、CDの衰退を引き起こし、さらには音楽業界の衰退を招いたのか、という点はわかりません。
ここで考えたいのは、「本は解体されないのか」ということです。

たしかに、文芸、文学作品のように、起承転結のようなつながりや流れる作品は、解体されないでしょう。
はじめの部分だけ読みたい、買いたい、という欲求は起こりづらいと思います。

しかし、研究、調査目的などの場合は、別です。
論文やレポートはもちろんのこと、文芸、文学作品も、自分の興味ある部分にすぐにアクセスしたい、と思うものです。
自分が調査していること、自分を支持する意見や事例、自分とは対立する意見や事例を読み、引用出来ればそれで十分なのです。

もしかしたら、文芸、文学作品も例外ではないかもしれません。
たとえば、今はお金がないから1章だけ読みたい、作家の力量は1ページだけ読めばわかるからその部分だけ読みたい。
もっといえば、短歌集などであれば、この一句だけが読みたいし、引用したい。
本を解体し、消費したい、という欲求はあるのです。

CDがアルバム、という「1つの流れがある」作品が解体されたことにより衰退したのであれば、この未来が書籍に訪れてもおかしくはありません。

しかし、書籍が解体されつくされる、というのは過剰反応でしょう。
というのは、書籍はアルバムCDと同じではないからです。
そして、書籍は、CDで言えばアルバムの単位ではなく、シングルとよばれる単位だと思うのです。
1つの章や文章を切りだして販売することは、ある1つの曲のAメロ、Bメロ、サビの部分を抜き出すして販売することに等しいのです。

音楽においても1つの曲を解体し、消費するという文化はあります。
DJと呼ばれる人が、ある曲の良いところを1部分ずつ切りだして、新たしい音楽をつくります。
しかし、販売する単位をDJの人たちが求めるような、1曲さらに切り刻んだ単位で販売することはありません。
なぜ、切り刻んで販売されないのか。これは良くはわかりません。
要望がない、というのが一番の理由なのかもしれません。

音楽おいては、一曲を解体して利用される文化あるようですが、書籍は、DJの人が使うように「自分が使う一部分だけ」を取り出して読めたとしても意味がありません。

1つの文章は、その前後の文脈によって、意味や解釈が全く異なるかもしれないからです。
文芸、文学はもちろんのこと、研究、調査目的で読まれる論文やレポートも全体を通して読むと、ある抜き出された文章が矛盾した意見を述べている、ということはありうることです。

とくに、研究や調査が目的であるならば、誤解釈はあってはなりません。
たとえダイレクトに自分の興味のある情報を手に入れても、その解釈に間違いがないか、その書籍の前後は必ず目を通さなければなりません。
では、前後とはどこか、その対象は「書籍全体」になってしまう傾向があります。
どこに、その文章と矛盾したり、その文章を否定したりする箇所があるかはわからないからです。
だからこそ、一つの文章のために、書籍全体を手に入れる、ということは十分に考えられます。

読者が書籍を消費するとき、詩的な1つの文章、短歌集の一句、自分の意見を支持する一節、最小の単位は1つの文章かもしれません。

しかし、販売における最小単位はまた別です。
1つ物語、情報を1つの書籍にする。
このような形態ならば書籍は、音楽における一曲に比せられる、解体できないモノ、として捉えられうる大きな可能性を持っています。
音楽でいえばシングルCDのようなもとして、書籍は成立するのです。

しかし、その価値はアルバムCDのような比較的大きな単位で消費者には受け入れられる可能性があります。
このため、価格が今の音楽のよう一曲、100円のような低価格になる、という現象も起きないのではないか、と思っています。

今後の課題は、いかに電子化された本をネットワーク上で売るか、ということではないか、と考えています。
電子化されることで、流通がかわり、売り方が変ります。
これにどのように対応するのか、電子化においては、書籍が解体されることによる価格の低下よりも、この点が対処すべき大きな問題になるように思います。

なによりも、コンテンツとしての質を維持し続けることが、価格を維持し続けるための一番の口実になるはずです。
この点は、電子化されるか否かによる部分ではないでしょうが。

とはいえ、CDにおいてアルバムが解体されたように、ある作家の作品を体系的に集めた「全集」という形態は滅んでゆくのでしょう。
それは寂しい気もします。

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