なぜScrumか、なんとなく整理がついた。@イノベーション・スプリント

2011/01/13(木)にイノベーション・スプリントというイベントに参加した。
このイベントはAgile、とりわけScrumに取り組もうとしている人間にとっては意義深いイベントだった。
Scrumというソフトウェア開発手法の開祖の1人であるジェフ・サザーランド。
そして、そのScrumの考えの源となった『NewNewProductDevelopmentGame』という論文を発表した1人、野中郁次郎。
その両者が同じ場で話をする、というものだったからだ。

野中郁次郎は、当時、優れた製品を生み出す企業を研究し、知と思想を体系化した。
そして、ジェフ・サザーランドは野中郁次郎の知と思想を実践し、その経験を通じてScrumという知と思想を生み出した。

優れた企業のなかに暗黙化されていた知を野中郁次郎が形式知化し、野中郁次郎によって形式知化されて知を用いたジェフ・サザーランドは行動という暗黙知を経て、Scrumという新たな暗黙知を創り上げた。
野中郁次郎がいう知のスパイラルアップを体現した関係を築き上げた両者の邂逅だった。

だから、Scrumという開発手法に心を寄せるもの1人としては、楽しみでしようがないイベントだった。
このような場を作ってくれた、@kawagutiさんには感謝してもしきれない。

以下は、野中郁次郎やジェフ・サザーランドの言葉についての、僕なりの都合の良い解釈だ。
だから、彼らが使う言葉や用語の意味について、必ずしも正しい解釈はしていないと思う。
でも、このイベントに参加して僕なりに彼らの言葉を解釈したことで、「なぜScrumなのか」ということに整理がついたとおもってる。
整理がついた、といよりは、一段落ついた、という感じかもしれない。
「楽しく」仕事すること、いいかえれば「楽しく」お金を稼ぐことに、なぜScrumを用いようと思ったのか。
それは、

Scrumの根底にイノベーションを起こすための勇気が溢れているから

だ。

Scrumの源流にある論文のタイトルは『NewNewProductDevelopmentGame』だ。
これは当時、革新的な新製品開発を行った企業の取組を研究し、その知を文章化したものだ。形式知化したものだ、といっても良い。

ここは想像でしかないが、ジェフ・サザーランドは、論文のなかでもとりわけ、「革新的な新製品開発」という文脈こそがソフトウェア開発に求められると思ったのではないだろうか。
単なる、と言っては語弊があるが、すでに形も製法も決められているプロセスを改善する方法では、ジェフ・サザーランドには響かなかったのではないだろうか。

なぜなら、新たなソフトウェアは現存しないと考えられるからこそ、フルスクラッチで開発されるからだ。
開発のプロセスには多数の不確定要素があり、開発されるシステムには、他のシステムにはない機能、強みが求められる。
ソフトウェア開発では、決まりきった製品を生み出すことが目的にはならない。
革新的なシステムが生み出されることが目的にある。
だからこそ、プロセスも決まりきった手順を最適に処理するものは求められない。
革新的なシステムを目指すために不確定要素に柔軟に対応するプロセスが求められる。

ジェフ・サザーランドにとって、ソフトウェア開発とはつねに革新的なシステムを通じて、イノベーションを生み出すことを目的としているのだ。おそらく。

これは必ずしも現実のソフトウェア開発とは一致していない。
僕たちの開発は、新しいものを作るよりも既存のシステムを保つことが多い。
また、僕たちが作るシステムは革新性などなく平凡だ。
作られたシステムが、明日の人びとの価値観や行動を変えるようなイノベーションを巻き起こすこともない。

なぜか。
答えは単純だ。
僕らはすべてのソフトウェア開発においてイノベーションなど求めていないからだ。
革新的なソフトウェアを求める前に、契約、納期、コスト、権限、責任、こうした現実に対応することを優先しているからだ。
ソフトウェア開発そのものに、イノベーションが求められていないわけではない。現実のまえに、僕らが妥協しているだけだ。

システム開発そのものに革新的なシステムを生み出すこと、そして、革新的なシステムがイノベーションを起こすことが求められているはずだ。
もっとも、現実という場は、勇気と情熱をもって、革新的なシステムの開発に挑むことに、とてつもなく困難であることは認めるが。

野中郁次郎もジェフ・サザーランドも、イノベーションという困難な現実へ勇気をもって取り組もうとしている。
それを感じたのは、野中郁次郎の

「大丈夫か?」などという質問には、論理的に答えられない。

という言葉だ。
なんとも身も蓋もないのだが、真実だ。
数秒後は予測できても、数日後に何が起こるのかなど、予測できない。だからこそ、これから起こることすべてを盛りこんで計画などできない。
「大丈夫か?」という質問には論理的には答えられない、という真実への言及は、予測不可能な現実を受け入れながら、目的の達成に取り組むという困難を引き受けることを示しているように思う。

「僕たちのプロジェクトはこのまま進んでゆくべきだろうか」
こうした質問にはどのように応えるべきだろうか。
野中郁次郎もジェフ・サザーランドも同じ答えに到達している。

すなわち、現実に学び、経験的な知を得るべきだと。

自分のアイデアや考えを実践に移す。
そして、素早く成功と失敗というフィードバックを通じて、自らの認識、情報、知識をアップデートしようとする。
今、自分たちがいる現実から、新たな認識、情報、知識をえる。
これが、イノベーションへいたるための知のつけ方だ。

ただ、これには勇気が必要だ。

不安定な現実を受け入れる勇気が必要だ。

人は、自分が制御できない不確定な状況にいたいと思わない。だからこそ、予測し、計画しようとする。
そして、ときには「現実は予測可能で、制御可能だ」と思い込もうとする。

ただそれは頭のなかの現実であって、自らが身を置いている現実ではない。

自らが身を置いている現実は、予測不可能で、都合よく制御できない不安定なものだ。
不安定な現実に身を置くことを覚悟して受け入れる、こうした勇気が現実から知を得るには不可欠だ。

また、現実から学ぶには、自己否定を行う勇気も必要だ。
自らが置かれた状況が悪くなると、まず「今の状態が悪い」ということを受け入れらない。

そして、状況が悪いということは、自分の行動や考え方に問題がある、という現実を受け入れらない。
たしかに現実は制御不能だ。だからこそ、制御可能な自分の思考や行動を変えるしかない。
こうした自明のことに気づけない。

現実から学ぶということは、自己否定を含む過程を経るものだ。
自分の思考と行動を改める必要がある。そうでなければ、学びはない。

だからこそ、自分にとって都合の悪い現実でも受け入れるという勇気も必要なのだ。

そして、他者、自分以外のものを受け入れる勇気も必要だ。

イノベーションは新たな知の創造を意味する。
ただ、新たな知は1人では生み出せない。
なぜなら、知は人と人の関係性、また文化などのつながりのなかにあり、人や文化が存在する場について知らなければならないからだ。
そして、場について知るには、その場にいる他者と関係を結ぶことが不可欠だ。

イノベーションは新たな知を創造し、人々の行動を変えるものだ。
その場にある人々の考え方や行動を知らずに、文化を知らずに、変化を起こすことなどできない。
知らないものは変化させることなどできない。
だからこそ、他者を知り、受け入れる勇気をもつことが必要なのだ。

しかし、他者を受け入れるとは他者の言うことすべてを受け入れることではない。
現実に学び、経験的な知を得るとは単なる自己否定では終わらない。

自己否定を超えた先に、これ以上、否定し得ない自分がいる、つまり、全人的な知だ。
ある人はそれを美学と呼び、ある人はそれを哲学と呼ぶ。
それは譲ろうにも譲ることのできない、自分自身だ。

他者を受け入れるということは、自分がもっているこうした全人的な知を他者にも認めるということだ。
そして、互いに全人的な知をぶつけあったさきに見出される知、場を共有する人びとが共通にもった主観、これこそがイノベーションといわれるべき新たな知だ。

自分自身の知識と常識だけに固執し、他者を受け入れられないのであれば、新たな知の創造はできない。
だからこそ、自分自身の知に価値を置きながらも、他者の知にも敬意を払う。
他者を受け入れて新たな知を創造する。そのために、周囲の人達とのコミュニケーション、インタラクティブなかかわりを大切にする。

野中郁次郎のいった、身体的な知、心身一如、知的体育会系という言葉。
ジェフ・サザーランドは、対面で話すことが最もブロードバンドなコミュニケーションという言葉。
こうした言葉に、イノベーションへいたるプロセスにおいて、他者を受け入れる勇気の必要性が集約されている。

また、ポジティブであろうとする勇気も野中郁次郎とジェフ・サザーランドの根底には存在する。

野中郁次郎もジェフ・サザーランドも情熱的であり、ネアカだ、印象を受けた。
ふたりともウィットに富んだ話し方をするし、かならず、希望的な物の見方を提示する。
「今はダメでも、こうすればよくなる」という話をする。
何事かを成し遂げる人は、やはり、行動原理として世の中や現状をポジティブにとらえようとしている。

最近、John Cacioppoという人が「人の脳はネガティブなことに反応しやすい」という研究結果を発表した。
http://www.lifehacker.jp/2010/11/101104brain_positive_negative.html

研究の詳細は上記のURLをたどっていただくとして、研究結果は1つの事を示唆していると思う。
それは、ネガティブなものの捉え方は反射的であり、ポジティブなものの捉え方は事実の反省や意志に基づいている、ということだ。

現実に起こりうる不都合なことを、そのまま受け入れてしまうとすべてを悪い方向に考えてしまいがちだ。
たしかに、起こってしまった不都合なことが自分自身にどのような影響をおよぼすかを考え、悪い結果を否定せずに受け入れることは重要だ。
しかし、不都合なこと、悪い結果をそのまま受け取り、意気消沈するだけでは駄目だ。

不都合なことや悪いことはどうしても起こる。
しかし、悪い結果をうけたあと、どうやってそのことに対応するか、反応するかは、自分自身でコントロールできることだ。
そこで、「今後どうすれば自分にとって都合の良く自体を変えられるか」、「悪い状況の中で自分に好都合に働くことはなにか」を考えることが必要だ。
ポジティブに考えられる意志こそが、悪い状況を抜け出すための原動力になる。

物事をポジティブにとらえる、というのは、Scrumで提唱されてはいないし、プラクティスにも、フレームワークとしても定義されてはいない。
しかし、野中郁次郎は「できそうにないことでもできる」と言ってしまえ、という。
ジェフ・サザーランドは「情熱をもって理想を追求しろ」という。
両者の言葉は異なるけれど、言っていることは一緒だ。

不可能だと思うこと不可能なものだと放置するな、可能なものと捉えて行動しろ、と彼らは言っているのだ。

反射的にネガティブな現実を受け入れるのではなく、さらにさき、ネガティブな現実にポジティブな要素を見出す意志を彼らは強調しているのだ。

最後に、なによりも、野中郁次郎もジェフ・サザーランドも、よい仕事は綺麗事と理想論が生み出すと再認識させてくれる。

たしかに現実的な問題に対処する必要はある。
野中郁次郎もイノベーションには、政治もこなせる強かさが必要だと言っていた。
しかし、僕らあまりにも現実を受け入れすぎていて、綺麗事と理想論を忘れすぎている。
政治やら駆け引きやら、責任やら、現実のネガティブな部分を見すぎている。

たとえばアポロ11号。
月面着陸という人類の偉業をなしたロケットであり、同時に政治的駆け引きの産物でもある。

大国間の対立という政治の力に影響を受け、権謀術数が渦巻いただろう開発現場において、当時のエンジニアたちは、到達不可能だと思われた月を目指し、実現した。

野中郁次郎もジェフ・サザーランドも、現実の困難な状況において、勇気をもってイノベーションを、月を目指せ、といっている。
そして、そのための知恵と勇気を僕らに与えてくれる。
だから僕は、Scrumに惹かれ、実践を目指しているのだ。

人類を月へ運ぶような大きなチャレンジに関わる機会は、現実には、そう何度もないだろう。

でも、数少ないチャンスが訪れることを信じよう。
かならず、チャンスをつかむ準備をしよう。
チャンスを掴んだら、勇気をもって月を目指そう。
月を目指す仲間と、Scrumを組みながら。

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