Archive for 2011年2月

僕はデブサミが大好きだ

2月 28, 2011

先週の2011/2/17,18の2日間、目黒雅叙園で行われたDeveloperSummit2011、通称・デブサミに参加してきた。

去年と違い単なる参加者としてでなく、OfficialCommunityの一員として、コンテンツを供給する側のちょっとしたお手伝いができた。

単に話を聞くだけでなく、ちょっとしたお手伝いであったとしても、コンテンツの供給をできたことは、非常にうれしかった。

下記には、印象に残ったセッションについて、それぞれ書いてゆきたい。
どうせ言葉を尽くしても、お話を聞いたときに雰囲気も魅力も語り尽くせないのだけれど。

<ハッカー中心の企業文化を日本に根付かせる よしおかひろたか さん>

ちょっとしたきっかけがあって、デブサミの講演の1ヶ月ぐらい前に、よしおかさんから”Hacker Centric Culture”のお話を聞く機会があった。
その日を境によしおかさんの仰る、”Hacker Centric Culture”とはなにか、ということに興味を持ち、セッションに参加した。

よしおかさんのお話のなかで印象に残っているのは、やはりHackerの定義だ。

よしおかさんは、いろいろな条件を提示していたけれど、それらを総合すると「Hackerは世の中を変えた人」である、というのは1番シンプルな解釈ではないかと思う。

すでに「変えた」人である、「変えた」という過去形であるのが重要だ。
アウトプットが済んでいる人。
結果をだしている人。

この定義では、コンピュータ業界にいなくても、Hackerになれてしまう広範な意味を持つ言葉になってしまう。

しかし、結果を出した人こそがHackerだ、という定義は、すべてのエンジニアに言い訳を許さない、という良さがある。

華やかなWebサービスに携わらず、COBOLを書いていようが、2次受け、3次受けの開発者だろうが、技術をしらない営業だろうが、行動することはできる。

結果をだすことはできる。
結果を出し続ければ、世界を変えることもできる。

もちろん、それほど世の中を変えてしまう人は多くない。
でも、いいわけなしにHackerになることを目指すことはできる。

誰にでもHackerになる機会を与えるとともに、けっして、言い訳を許さない厳しさがある言葉の定義に、僕は魅力を感じた。

http://www.slideshare.net/hyoshiok/18a1

<これからの「アジャイル」の話をしよう ――今を生き延びるための開発手法とスキル 木下史彦 さん>

アジャイル開発をやるためには、既存のプロセスを捨てる覚悟が必要だ。

もちろん教科書的に言うだけならば、既存のプロセスのよい部分を残しながら取り入れれば良いといえる。
でも、どこが「良い」のかなんて最初から分からない。

だから、新しいことに取り組むときには、前例を否定し、過去の成功体験すら捨てる覚悟が必要だ。
そして、新しいことに忠実に取り組む必要がある。

はじめて、受託開発でアジャイル開発をするときに、前例を否定し、過去の成功体験すら捨てる覚悟が必要なのは、開発者だけではない。
システムを共に作ってゆく顧客もまた、おなじだ。

初めてのことに挑む顧客を安心させる、やる気にさせるには、誠意をもって「ちゃんとやります」というこちらの意志を伝えなければならない。

顧客にしっかりと「ちゃんとやります」というメッセージを伝えられるか、というのは、開発が始まる前の契約段階からプロジェクトが終結するまで続く課題だ。

とくにまだアウトプットを見せていない段階で、「ちゃんとやります」という意気込みを理解させ、信用してもらうのは至難の業だ。

木下さんは、価値創造契約というシンプルな仕組みで、その意気込みを示している。
http://124.146.218.163/trial/new-agile-contracts-service.html

上記のURLを観てもらえばわかるとおもう。
サービスが提供されるまでかかる初期費用は「0円」また、解約についても、「0円」だ。

シンプルな契約内容は、「ちゃんと使えるサービスを提供できます」「ちゃんと使い続けられるサービスを提供し続けます」という強い意思表示だ。
(※ちなみに、社名を失念してしまったが同様の取り組みを行なっている会社さんがあったような気がする。)

ご講演の後に、ちょっとお話しする機会があったので、僕は「面白かった」という感想を伝えた。
かなり的はずれな感想だと思うけど、ほんとうにそう思った。

家を売った話、腹をくくった話、海外で発表されたお話、木下さんの波乱万丈というか、歩んできた道のりのドラマティックさに、僕はひきこまれて話を聞いていたからだと思う。

本当の人間ドラマに魅せられて、非常に心が熱くなった講演だった。

http://www.slideshare.net/fkino/whats-the-agile-thing-to-do

<SmartPhone - アプリ開発とその未来 張 惺 (a.k.a. Tehu) さん>

世の中を変えてしまった人をHackerというのならば、張さんはまちがなくHackerだ。
すくなからず、張さんは僕の見ている世界を変えてしまったからだ。

ちなみに、お名前は、張惺(ちょう・さとる)さんと読む。

灘中学に通う、というだけでも稀有な存在である。
中学生にしてデブサミに登壇して話すだけでも、さらに稀有だ。

そして、中学生にして”健康計算機”というiPhoneアプリを3日で作成し、日本のAppStoreのダウンロードランキングで3位になったとなれば、ほとんどのエンジニアにとっては尊敬の対象となるだろう。

発表する姿も実に堂々としていた。

時折、混ざってくるジョークも非常に面白い。
また、スライドも非常に見やすかった。
スピーチの見本のようだった。

冗談交じりにSteve Jobsを意識していると語っていたけれども、本当に意識して練習をしているのではないか、と思う。

発表された内容自体も、非常に示唆に富んでいた。

健康計算機について、張さんが考えて実行したことは、僕ら業界の大人たちが必死になってやろうとしていることだ。

既存のアプリケーションと機能が変わらないアプリケーションを売るためには「魅力」が必要だ。

とくにiPhoneのアプリが販売されるAppStore、玉石混交のアプリのプールになっている。

まずはそこで目立つために、アプリケーションの「魅力」をどうやって訴えるかを考える必要がある。

そのために張さんがやったことは、アプリケーションの説明文をしっかり書くことではない。

ちなみに、説明文を詳しく書くことがアプリのダウンロード数につながらないことを、調査したうえで有効ではない、と判断している。

張さんが3日のうちに1日もの時間を割いたのは「名前」だそうだ。
そして、もう1箇所、時間を割いたのは、アイコンだそうだ。

時間を割いた結果として生み出された、「健康計算機」という名前もアイコンも平凡に見えるかもしれない。

しかし、注目すべきは、戦略性を持って開発されたアプリが、多数の人びとにダウンロードされた、という結果だ。

消費者がサービスや製品のどこに「魅力」を求め、そして、その魅力を出すためにリソースを集中させ、目的を達成する。

Webサービスのみならず、日本のビジネスがまさに必要としていることを理解し、実行しているのだ。

改めて僕のライバル、そして学ばなければならない対象は、張さんのような自分よりも若く、優秀な人たちだと認識した。

そして、iPhoneやAndroidの未来よりも、自分自身の未来が気になってしまった。

http://www.slideshare.net/SatoruCho/18d5-smartphone

<未来のために私たちの帆を立てよう 野村恭彦 さん/papandaさん>

最後のセッションはお話を聞くというよりは、参加型のセッションだった。

僕はDevLOVEの裏方としてかかわりが薄かったので、この日のために何かをしてきたわけではない。

ただ、この日のために準備に奔走した裏方さん、とくに早朝に集合して、アプリまで開発した@papandaさんや@Jun116さんにとっては、非常に感慨深いセッションになったのではないか、と思う。

#4tate(ほたて)というハッシュタグをつけてTwitterでつぶやきながら、今を変えた、自らのクリエイティビティ発揮した証拠を世の中にのこして行こう、という取り組みも素晴らしいと思う。

デブサミのようなイベントは、ある種、ハレの日だ。
お祭りのようなもので、それが終わってしまえば、情熱も消え去ってしまう。
情熱を保ちながら行動をし続けるのは、難しい。

#4tateのハッシュタグは、デブサミというお祭りの雰囲気を忘れないための、旗印のようなものだと思う。
僕も、セッションに参加された人たちと共に、ほたて、し続けたいと思う。

http://www.slideshare.net/devsumi/18b7

<さいごに>

僕は、主催者の@kohseiさん、世の中を変えるのは、政治家か、デザイナーか、デベロッパーだ、という言葉が大好きだ。

そして、そんな思いから、デベロッパーのためを思って、開催されているデブサミ、というイベントが大好きだ。

だから、主催の翔泳社さんとスポンサーとして参加してくれている企業には、大きな感謝を捧げたい。

今年も素晴らしいイベントを開いてくださって、ありがとうございました。

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コンセプトの面白さに惹かれた@テオ・ヤンセン展

2月 13, 2011

先日、お台場の未来館で開催されていたテオ・ヤンセン展を観てきた。

つい少し前まで、ぼくは、テオ・ヤンセンというアーティストを全く知らなかった。
だが、親しくしている先輩に、先年の暮れあたりにテオ・ヤンセンの存在を教えてもらい、興味をもっていた。

そんな時にタイミング良く、展覧会が開かれることを知り、是非にと思い足を運んだ。

事前に調べてから展覧会へ向かったので、テオ・ヤンセンというアーティストがどういうアーティストか、というイメージを持っていた。

僕からみて、テオ・ヤンセンというアーティストは、物理の世界に魅せられた、歯車が象徴する無機質で冷たい作品をつくるイメージだった。

ところが現地に足を運ぶと、こうしたイメージは覆された。
テオ・ヤンセンは、生物を作ろうとしていた。

彼の作る人工生命「ビーチアニマル」と呼ばれ、風をうけると自動で動き始める。
そして、ビーチアニマルは、進化する。
地球の生物が、白亜紀や三畳紀などを経て進化してきたように、ビーチアニマルも進化の過程をもっているのだ。

テオ・ヤンセンは、進化の過程とそれぞれの世代の環境などについて丁寧に説明している。

巨大で、周囲の風を震わせながら堂々と動くビーチアニマルには、見ただけでは生命の温かみを感じない。
何を考えているのかわからない恐ろしい存在だ。

しかし、テオ・ヤンセンのビーチアニマルのコンセプトに触れると、ビニールチューブやペットボトルで構成されるビーチアニマルが、突如、温かみをもつ。
幾世代も厳しい環境を生きぬき、進化してしてきた生命を宿したような存在として目に映るようになる。

風を受けてうごく物体としての構造も見事だが、それ以上に、物体にたいして生命を与えるコンセプトが素晴らしい。
物体に生命をあたえる、テオ・ヤンセンのコンセプトこそが、彼の作品の魅力だと感じた。

「ほめられる」の大切さを考えた@すくすくスクラム

2月 6, 2011

先週あたりに、今年初のすくすくスクラムに参加してきた。

モチベーションアップをテーマとしたセッションのなかで、印象に残るワークを体験してきた。
正式な名前を忘れてしまったのだが、1分間、とにかく「ほめ言葉」を浴びせ続けられる、というものだ。

このワークを体験して、ほめられることの大切さを考えさせられた。

そもそも、仕事上で、誰かの行動やアイデアをほめる、というのは難しい。
というのは、誰かをほめるには、それなりに相手のことを観察し、知っている必要がある。

僕が勤めている会社は、ほぼ1フロアの職場だ。
そのため、誰が何をやっているかは比較的分かりやすい。
すくなからず、同じチームで誰が何をやっていて、どういう結果をだそうとしているか、を理解するのはたやすい。

しかし、それが部署をまたぐととわからない。
誰がどんな目的で、何をやっているか、そして、それが達成されたのかがわからないと、ほめることできない。

たしかに何も事情が分からないけれど、「がんばってるね」ということは言える。
しかし、事情を知らないような人間に、表面的にほめられたとしてもうれしくない。

なぜなら、ほめ言葉は、言葉の内容もそうだけれど、それ以上に「誰に」言ってもらえたかも重要だからだ。
そして、その「誰に」ということに関しては、「自分のことを理解している」とほめられた人間が思えることが重要なのだ。

そのため、人をほめるのがうまい人は、相手をよく観察していて、そのことを相手にちゃんと伝えている人に限られる。
職場ともなれば、そんなことが出来る人は稀だと思う。
自分自身の仕事をこなしている状況で、周囲の人の活動に気を配る、ということは並大抵のことではない。

職場で働いてい人を上手にほめられる、というは、卓越したひとつ才能なのだ。

だから、他者をうまくほめられる人は少ない。
他者をうまくほめられる人間が少ない、という状況が生み出しているのが、ほめられベタな人、だ。
ほめられ慣れていないから、いざほめてもらっても、素直に受け取れない。
たとえば、謙遜したり、否定したりする。

謙遜や否定は、謙虚さという美徳を表すものではあるけど、一方で、やはり相手の意見を否定することでもある。
せっかくほめたのに否定されてしまったら、「次も言おう」という人は減ってしまう。
数少ないほめ言葉がもっと少なくなってしまう。

なので、すくすくスクラムでのワークで、ずっと自分がほめ言葉を浴び続けていておもったのは、
「もっとうまくほめられたいなぁ」
「ほめられてうれしい気持ちを、もっとうまく伝えたいなぁ」
ということだった。

損ことを考えるほどのほめられベタな僕は、ほめられる貴重な機会を逃さないために心がけていることがある。
それは、ほめられたら、お礼をしっかり伝えることだ。

相手が誰か、言葉の内容がどうかに関係なく、脊椎反射で「ありがとうございます」と言ってしまうのだ。

「お世辞なのに馬鹿じゃね?」と思われているかもしれない。
でも実際、ほめられたら嬉しいし、「天才だ!」と思われるより馬鹿にされていたほうが気楽だ。

また、脊椎反射で言うから心がこもっていないかもしれないが、少なくとも言葉で否定を表すよりはマシだと思っている。

上述のように的外れなほめ言葉でイラッとしているかもしれない。
でも、ほめ言葉をいわれたほうがマシだ。

それよりも、自分がいる場にほめ言葉が増えてゆくほうが気分が良くなる。
場の雰囲気も良くなると思うからだ。

表面上のほめ言葉よりも、本音の愚痴や悪口よりは、職場の雰囲気作りには役立つだろう。

ひとつだけ、気をつけたいのは、表面上のほめ言葉ばかりが流行ってしまうことだ。
あまりにもほめ言葉だけが蔓延してしまうと、誰かの行動を注意しづらかったり、反論しづらかったりする雰囲気を作ってしまうかもしれない。
その場にいる人たちが、素直に自分の思いをことばにできなくなってしまうかもしれない。

とはいえ、そんなことが気になるほど、ほめ言葉を聞く機会は多くない。
今の職場でも、もっとほめ言葉を聞いていいと思う。
だから、ほめられたら素直にお礼を言う。
自分が耳にする、貴重なほめ言葉にちゃんと感謝の気持ちを表したい。