かいちょーが会社から去った

殴り書きではある。
けど、今日中に書き上げることに意味があると思うので、推敲もなくアップした。

タイトルのとおり、今日、かいちょーが会社を去った。
僕が、「かいちょー」と読んで敬愛するプログラマは、良くも悪くも思い切りの良い男だ。
会社を辞めるにしても、このご時世にフリーになることを選択する、というのは、それが良く表しているのではないかと思う。

かいちょーが会社を去るのは必然だったと言わざるをえない。
なにせ、上司から「おまえのやりたいことは会社にいたら実現できない」とすら言われていたからだ。

とはいえ、かいちょーが会社に辞めされたわけではない。
むしろ、会社が見限られた、というべきだろう。

おそらく、かいちょーが一番堪えられなかったのは、プログラミングを軽視した社の体質だったのだと思う。
もっといえば、システムを作り込む、ということ自体への軽視と言ってもいいかもしれない。

それは、「誰でも分かるようにプログラムを書け」という言葉が、「プログラミングができない人でも保守できるようにオブジェクト指向などの設計技法を放棄したプログラムを書け」というコトを意味する環境であったことで知れる。

僕は、幼稚園や小学校で「最後は手をつないで一緒にゴールする徒競走」が行われていることに、眉をひそめる人間だ。
というのは、わざわざ能力の低い人間にあわせて、能力をもっている人間のやる気を引き下げる愚行だからだ。

それは、悪平等だ。
そして、そんな悪平等で一番傷つくのは、能力をもつ人に情けをかけられている能力のない人間だ。
小学校からずっと足が遅い僕にはそれが分かる。

そんな馬鹿なことが行われている会社に、かいちょーがいられるわけもない。
会社に所属するために、そんな慣習に迎合することは、かいちょーからすればプログラマとしての仕事の放棄だ。
そして、情熱と誇りの放棄だ。

プログラマがいない会社にシステムは作れない。
かいちょーが居なくなることは、僕の今いる会社がシステムを作ることを放棄しつつある1つの現われではないか、と思う。
が、会社のことはこの際どうでも良い。

かいちょーとの付き合いは、僕を変えてくれた。
僕はかいちょーをみて、もっとプログラミングを勉強しなければ、とおもった。
だから、今、JavaScriptの写経をやり始めている。

僕はかいちょーと一緒に遊びにいきながら、レバニラってウマそうだなって思った。
今では、レバーは生でも焼いても、食べれるようになった。

僕はかいちょーにさそわれて、コミケって参加した。
いつのまにか、同人誌の記事まで書いていた。

かいちょーから学ぶことは、たくさんあった。

会社をやめたらから、これっきり、ということはないと思っている。
今後とも、僕に良い影響を与えて欲しいと思っている。

いままでありがとう。
今後とも、よろしく。

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