エリックとリンダと僕らの世界

Not all of a large system will be well designed
(大規模システムのすべての部分がうまく設計されているわけではない)

4月13日、EricEvansのチュートリアルでDomain Driven Design(以下、DDD)を学ぶなかで、この言葉こそがDDDにおける核心の1つだと感じた。

あまりに大きなシステムは、全体的な調和を保つことはできても、全体をつくる個々のすべてのシステムでは、最適な状態を保てないのだ。

DDDにおいて、このシステム観は重要だ。
だからこそ、汎用サブドメイン、支援サブドメイン、コアドメインの3つにシナリオ(といってよいのだろうか)をわける。
そして、ビジネス的に価値が高いコアドメインに注力する。

必要だけれども、コアドメインとは異なり企業の競争力につながらない、ビジネス価値の低い、汎用サブドメインや支援サブドメインは外部調達などによってまかなおうとする。

自分たちのリソースを、コアドメインに自ら注力することこそが重要だと考えているのだ。

僕はさほど多くのシステムを観てきたわけではないが、「すばらしい設計だ」と思わされたシステムは少ない。

ひどいプログラムや設計で作られたシステムに出会うと、先々起こるであろう、システムのバグの改修や変更への対応を考えて気が重たくなる。

そして、そんなシステムを創り上げた誰かに同情しながらも、腹をたてる。

しかし、僕は大きな勘違いをしていたのかもしれない。

そもそも、僕は、自分の関わるすべてのシステムがユーザーに必要とされ、なおかつ重要だと思い込んでいたのだ。

自分が創り上げようとしているシステムは、DDDでいうところのコアドメインに当たるシステムだと思い込んでいたのだ。

僕はもっと疑問をもつべきだった。

いままで僕が携わってきたシステムのどれだけが、顧客にとってのコアドメインとなるシステムだっただろうか。

そして、顧客にとってビジネス価値が高く、競争力の源となるビジネスを可能とするシステムだっただろうか。

システムを外注するユーザー企業からすれば、会社というシステムなかの、さらにプログラムで作られたシステムの一部でしかない。

そんなシステムを僕はつくってきたのかもしれない。

そうであるならば、僕が携わってきたいくつかのシステムの設計が洗練されたものでないとしても、仕方のないことかもしれない。

それは戦略的に選択されたシステムの姿だったのかもしれない。

もちろん、僕が見てきた大抵のシステムのプログラムの汚さやシステムの低品質さは、それを言い訳にはできないものだったけど。

大規模なシステムはすべてを完璧に設計し、維持することはできない。
DDDはそのことを大前提として、重要な部分に集中するのだ。

大きなシステムは、その全体を作り上げている個々のすべてのシステムに注力し、洗練させることは難しいのだ。

チュートリアルを受けたあと、DDDで学んだ大きなシステムを設計し、創り上げることの難しさを改めて考えさせられる話を聞いた。

その話をしてくれたのは、組織を変化させるために利用できるパターンをまとめた『FearLessChange』の著者の1人、Linda Rising だ。

Ericのチュートリアルのすぐあとに、Lindaと出会うという幸運を得たのだ。

その席で、Lindaから、9.11のあとのアメリカで起こった出来事について聞いた。
9.11において、飛行機が高層ビルに飛び込む姿を繰り返しテレビで見ることになったアメリカの人びとは狼狽した。

結果、何が起こったか。
交通事故により死亡する事件が多発したのだ。

飛行機の乗ることを恐れた人びとの多くが車での移動を選んだ結果だ。
そして、アメリカの人びとが恐れたテロリストたちよりも一般の人びとにより、多くの死がもたらされることになった。

個人が最適だと思った方法は、アメリカという全体では、とても大きな問題を引き起こしたのだ。

この現象から、個々の動きが複雑に絡み合う国家という大きなシステムの姿が垣間見える。

翻って、今、大きな地震の被害をうけた日本もおなじだ。
僕も、大きな地震で一部の地域が崩壊したことで、生まれた歪をみたことで、日本が1つの大きなシステムであることを再確認した。

首都圏で使用できる電力は減り、ヨーグルトやタバコは手に入らず、西日本でも電車の本数が減らされている。

日本は大きなシステムであり、一部の地域の崩壊は、日本という大きなシステムを確実に壊したのだ。

EricやLindaの祖国アメリカがそうであるように、日本も3.11以前に戻ることはない。
日本という大きなシステムで壊れた部分は、元通りなることはなく、確実につくり直される。

ならば以前よりも良くしたい。

そのためにも、DDDがビジネス価値に集中するように、日本というシステムにとって価値のあることに集中して、僕らは日本という国を復興、再構築する必要がある。

そして、日本にとって一番、価値があることを発見するためには、今の日本を前向きに見つめ直して、良い点を探し出す必要がある。

Lindaはいっていた。(と思う。英語が苦手ですんません。)
世界をどのように観るか、それが大切だと。

世界を失望のまなざしで見つめていたら、きっと世界を良くすることはできない。
「なにかよいことはないだろうか」という前向きな心で世界を眺めれば、どこかに希望が見いだせる。

ありきたりな認識論かもしれないが、大切なことだ。

いままで、自分の周囲が平和で満たされていたからこそ、世界のうまく設計されていない部分を見過ごしてきた。

それでいて、失敗が分かりやすい、うまくいっていない部分にだけ集中して批判ばかりをしてきた。

経済も、社会保障も、政治も、スポーツも、うまくいっていない部分をあげつらい「日本はダメだ」と言ってきた。

もうそろそろ、世界のすべてがうまく設計されていない、設計されない、という現実に目を向けるときだ。

しかし、その現実に失望するのではなく、前向きで希望をこめた視点で注力すべきところを探す。

すべてにおいて良くあろうとするのではなく、自分たちがより良く生きるために、どこに注力するべきかを戦略的に選択し、注力する。

DDDというシステム設計と『FearLessChange』の著者の考え方から、システム開発の領域を超えて、これから僕が世界とどのように関わってゆくべきか、生きるための知恵を学んだ。

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コメント / トラックバック1件 to “エリックとリンダと僕らの世界”

  1. あきら Says:

    ちょうど同じことを思っていたのでびっくりしました!!!

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