チャラン・ポ・ランタンのライブがおもしろかったのでひさびさにブログを更新してみる

7月 22, 2012

JAZZ ART せんがわ2012というイベントで非常に面白いライブを見てきた。
http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/07423.html

アーティストの名前は、チャラン・ポ・ランタン。

jazzを聴けると思っていたんだけど、どう考えてもジャズじゃない。
あまり音楽を聞かない僕の知識を総動員して考えると、あれは昭和歌謡だった。
普段ほとんど音楽を聞かない僕でも、どこかで聴いたことのあるような懐かしさを感じる音楽と、人間が表には出したがらない自分の心のうちを描いたような詩が印象的だった。

ライブを聞いていると、人間の表に出しづらい心の奥底にある感情をテーマに書かれた連作短編の小説を読んでいる気分にさせられる。

1つ1つの曲に物語があり、1つの曲ごとに完結している。
そんな1つ1つの曲がつながって、ライブが1つの作品になっているという印象だった。

下記に彼女たちのHPのURLを貼っておいたので確認してほしいのだけど、可愛らしい彼女たちの風貌からは想像できない詩の内容、そして、迫力のある歌声に圧倒されてしまった。

もう一つ、びっくりしたのはアコーディオンの音色。
テレビでしか聴いたことがなかったので、うまい人が弾くアコーディオンを生で聴くととすごく綺麗な音がするんだな、と感心してしまった。

お店にお酒がなかったので、はじめてライブをシラフで聞いたけれど、とても楽しめた。音楽素人の僕が久々に皆に教えて回りたいな、と思ったアーティストに出会ったライブだった。

チャラン・ポ・ランタンが気になる方は下記のHPで情報チェックしてほしい。(というか、たぶん結構有名なんだろう)
今度、フジロックにも参加予定らしい。
http://charan-po-rantan.o0o0.jp/

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アジャイルサムライから学んだこと

4月 16, 2012

1ヶ月に聞いたjonathan rasmussonの話で印象に残ったことを書いておこうと思う。

僕が彼からうけた教えは非常にシンプルで、
ルール1:
価値のあるフィーチャーを確実にリリースして信頼を築け
ルール2:
その信頼を決して裏切るな
という2つのルールだけだ。

アジャイルにやる目的というのは究極、価値のあるフィーチャの定期的なリリースだ。

もちろん、アジャイル開発を発祥とするプラクティスを上手く取り入れることは、開発現場が楽しくなったり、良い開発者を育てることができるようになったり、という効果もあるかもしれない。
とはいえ、それらは手段であって目的ではない。

楽しい開発現場は開発に携わる人の士気をあげる。
人が育てられる開発現場はチームのハネムーンナンバーを増やせるし、チームの能力を高められる。
だが、それは価値のあるフィーチャを継続的に生み出し続け、ビジネスとして成功する、という目的を達成するための手段だ。

たとえば、『アジャイルサムライ』で紹介されているインセプションデッキもデッキを作ることが目的ではない。
開発、プロジェクトの目的を忘れないために作成するのだ。
アジャイルにやるためにはたくさんの暗黙知がある。
アジャイル開発は、それらの暗黙知をプラクティスという名称で形式化した。
しかし、それがたくさん現れてきたことで意識的に考慮することが増えたことにより混乱が生じる。

ちゃんと朝会をやっているか、ちゃんとデッキを作っているか。
こうした視点は悪くない。
しかし、「ちゃんと」を判断する判断基準が大切だ。
単に実施されている、アウトプットが作成されている、という確認では意味が無い。
それは読まれない大量のドキュメントを作成する不毛さに似る。

アウトプットがあるか、という表面的な確認が行われていると、手段が目的になる。
そして、目的に近づくために取り入れた手段をこなすだけになる。
本当に目的にとって有用か、を判断せずに。

Jonathanの話を聞いて、限りなく単純化すると見るべきところは2つで良いように思った。
すなわち、
・チーム内で合意されたスコープを溢れさせずにリリースが出来てるか
・会社の業績は伸びているか
の2つだ。

Jonathanの教えをあまりに簡略化しすぎているかもしれない。
けど、彼の話を聴いていて反省したのは「実施したい、実施すべきだ」と思っていること、つまり手段を取り入れることに目を奪われすぎていて、自分の状況をうまく把握できていなかったことだ。
そして、なぜ「実施したい、実施すべき」と思っていたのか、理由を整理しきれていなかったことだ。

スコープを溢れさせずに定期的リリースができ、会社の業績が上向いているなら。
おそれらく、アジャイルにやれている。
そして、プラクティスを取り入れたいと思っているのは、アジャイルにやれている状況を維持するためだ。

アジャイルにやれているか。
という問たいする答えは非常にシンプルだったのだ。

なぜ実践なのかを考えた@ブレスト祭り

3月 4, 2012

2012/03/03にDevLOVEとhcdvalueが合同開催したブレスト祭りに参加した。
http://kokucheese.com/event/index/28198/

「学びの効果を実感するにはどうするか」ということをテーマに、デザイナーとプログラマが出会ってアイデア出しをしたらどうなるか、という主旨で行われた。

最近は特に勉強会を開催する身として、どれだけ自分を含めた参加者が効果的に学べるか、ということに悩んでいたので、このテーマには惹かれるものがあった。

学んだことの効果が実感できれば、たとえば、勉強会で得た知見を実際に会社でも活かしてみようと思える人たちが増えるだろうし、実践者が集まる場所は魅力的な場になるだろうからだ。

この会に参加してあらためて思ったのは、「フィードバックを得ることが学びの効果を実感するには大切だ」ということだ。

フィードバック重要。そのためのアウトプット

なぜフィードバックが重要だとおもったのか。
そのように思った理由は単純で9名?の人たちとブレストをする機会があったのだか、学んだことをアウトプットすることを学びの効果を実感するために重視していたからだ。

方法は、学んだことのリストを作る、とにかく実践、ブログを書く、人に教える、などのよく聞くものが多かった。
なので、方法について目新しい!と思ったのではなく、僕の気づきは、実践やブログ、人に教える、リストを作るという頭の中のものをアウトプットすること通じて「フィードバックを得る」という目的があるのだ、ということだった。

いままで、学んだことを実践する、ということが学習の効果を実感できる1番の方法だし、学んだことの価値を高める1番の方法だろうと漠然と思っていた。

でも、なんで「実践が1番なのか」という点について深く考えたことはなかった。

しかし、今回いろんな人達のお話を聞いてそれがようやく理解できた。(ような気がする)
実践は頭の中に入れた理論や知識、人の経験と再び出会う機会であり、フィードバックをつうじて理論や知識の再解釈が行う機会になるからだ。

たとえば、人に教えることが学びの実感につながるのも、その行為を通じたフィードバックがあるからだ。

人に教えるときに自分の学びの深さについて実感したり、学びが深まるのは、「何を教えるか」「どう教えるか」などを考えて教材を作っている時だ。

そして、教材を作っている時というのは、内的に自分の学びの深さについてフィードバックをかける効果がある。
たとえば、自分が知っていると思っていることに穴があって、教科書などを調べ直す、ということは結構ある。
もちろん、教えている最中に質問されて答えられない、ということで自分の無知に気づくこともある。

教えるという機会は、自分の知識に自身が能動的に問い直し、問いの結果を通じてフィードバックをかけること機会でもあり、第三者から学びのついてフィードバックを受ける機会でもある。

学びの効果を実感するためにはフィードバックが必要であり、フィードバックをうけるための1番の方法が頭の中にある知識や知見をアウトプットすることなのだ。
そして、実践にはその知識を自分の状況に合わせて再解釈する機会がある。

だから、実践が大事。

とはいえ、実践のハードルは高い。

なので、「すぶり」ができる場が必要だ。
すぶりは、模擬的な体験を通じて学びを活かす場だ。
そして、失敗をしても良い場所だ。
それは、Wikiでいうところのsandboxのようなものだ。

勉強会のワークショップなどはまさにそんな場だと思う。
ワークショップは準備は大変だけど得るものが大変多い。
なので、機会があったらどんどん参加したいし、参加してもらいたい。

今回の企画は、講師の石井力重さんに非常にお世話になりました。
懇親会でもずっと貴重なお話を聞かせて頂きました。
ありがとうございました。

デブサミには僕に必要な言葉があふれていたので燃料もってかえってきました

2月 21, 2012

今年もデブサミに参加した。
http://codezine.jp/devsumi/2012
そのなかで印象に残った言葉について書きたい。
なお、正確にメモを取ったわけではないので、発表者の方の言葉は正確ではないし、差異があると思う。

・人は忘れる生き物です(デブサミオフィシャルコミュニティから選出のLT大会2012: 及川 卓也さん)
この言葉を聞いて思い出したのは、自分が昨年の7月に転職をしたきっかけ、を忘れていたことだ。
僕が転職を決意したきっかけは、昨年の3月11日に東日本大震災だった。
あの日の地震は僕が生きてきて経験したことのないものだったが、当時、千葉に住んでいた僕の生活に致命的なダメージを追わせるものではなかった。

僕があの地震で転職したいと思ったのは、地震後のTwitterのTLを見ていたからだ。

僕のTLには震災という不測の事態にたいして、「ああしたい、こうしたい」「ああすればよいのではないか」という思いや考えを実行できるエンジニアたちがあふれていた。
当時、彼ら、彼女らの行動が英雄的な行為は輝いて見えた。
そして、一方、エンジニアという肩書きを持ちながら何もできない自分の無力を感じた。

もちろん、日本の多くのエンジニアが、あんな行為ができたわけじゃない。
ただ、震災直後の自分のTLに僕はエンジニアの原点を見たのだと思う。
つまり、必要なモノがないなら作れ。そして、必要な人に情報システムをつうじて価値を届ける。
不測の事態にありながら、エンジニアとしての本質を体現した人たちに憧れて、少しでもこの人たちに近づきたい、そう思ったから前の会社を辞める決意をした。

僕がなぜ今の会社で働いているのか、その原点となった体験を思い出させられた言葉だった。

・あらゆる制約がなくなったとして「アジャイルに」できるの?(アジャイルマニフェスト ディケイド:角谷 信太郎さん)
今まさにこの問いに答えることが出来る状態にある。
そして、「できてません」と答えなければいけない状態にある。

そもそも前の会社ではアジャイルにやるための下準備に悪戦苦闘していた。
「Scrumの要素を会社の開発に取り入れるためにはどのように組織にアプローチすればよいか」
「社内に勉強会の文化を根付かせるためにはどうすればよいか」
こうしたことを考えて社内の人達と情報交換したり、会社内での仕組みづくりをしていた。

それらはアジャイルにやるために必要なことかもしれないし、システムを作ることには必要なことかもしれない。
でも、うまくいけないど「アジャイルにやれるのか」という問いに真っ向から答えるものではないと感じている。

「何を作ればよいか」という問いに的確に答えることが重要だけれども、それを「どううまくつくり上げるか」という問いに答えることも重要だ。
アジャイルにやることはこの2つの問いに答えることだ。
しかし、「どううまくつくり上げるか」という部分に苦戦し、「何を作ればよいか」という部分に達せない。
それ実力がないからだ。

アジャイルにやるためのあらゆる制約をなくした場に行くことで、あらためて自分にアジャイルにやるための実力が無いことに気付かされる。
「何を作ればよいか」を求めるための知恵や方法も、「うまくつくり上げる」ための技術力も欠けていることに気付かされる。
それは、「上司が、同僚が、親会社が」という言い訳のある世界では、辿り着くことのない現実だった。

理論を知ること体現をすることの間にある溝の深さを知ることがまず大事だ。
そこから全てが始まる。

「アジャイルにやれんのか」
この問いとの競争だとあらためて覚悟させられた言葉だった。

・課題管理はコミュニケーション・ツールです(仕事のバトン、渡っていますか? – プロジェクト管理におけるコミュニケーション基盤作り:鈴木雄介さん)
うえの2つの言葉とは違ってメタな話ではない。
今の仕事の課題に活かせる言葉と感じて印象に残った。
実際のお話は、JIRAを中心としたお話だったのだけど、僕としては学びが多いお話だった。

今の会社では課題の管理にredmineを用いている。
redmineをタスク管理とか課題管理とかイシュー管理とかさまざまに呼ぶ人がいるのだけれども、使用する目的はなんだろうか。

僕はこの言葉を聞くまで勘違いをしていて、redmineのチケットは自分のタスクの進捗を管理するものだと考えていた。
だから、備忘録というか自分が忘れたくない作業を考えなしに、登録していた。
また、書く内容も読む人がいる、という前提ではなくて、自分が理解できる程度の作業ログを記載するという使い方をしていた。

でも本当は情報共有のためのredmineのチケットはある。
だから個人的なタスクもすべてチケット化してぽんぽんと放り込んではいけない。
自分と一緒に仕事をしているチームメンバーに知ってほしいタスクをチケットにするほうがよい。
そして、チケットに書かれる内容もチームメンバーに知ってほしいこと、知りたいとことを書いたほうがよい。

デジタル化されたredmineのチケットは検索もできるし、gitとの連携もできる。
だから課題やタスクの情報を他の情報と結びつけながら集積、使用することに向いている。
こんなに便利なツールなのだから、コミュニケーションを活性化するためのツールとして上手く使って行きたい。

あと、課題を管理する前に時間の管理をまずやりなさい、という言葉も耳に痛かった。

・人の話の価値は自分が決める
正直、今年のデブサミには「行きたい!」という強い気持ちがわかなかった。
仕事を中心にやりたいことが山積みなのに、それを横目に人の話を聞いて何になるのか。

でも足を運んでその考えが間違っていたことに気づいた。

人の話を聞くことの価値は自分が決めるのだ。
前の舞台にたって話す人は大勢の聴衆に向かって話している。

心にひびく言葉がみんな同じではないし、自分でも時期が違えば同じ言葉に同じ価値を見出せるかわからない。
でも、経験に基づいた発表者たちの言葉には、自分の状態がどんなであってもその状態にあわせて価値を感じ取ることができる。

だから、自分がダメでも、絶好調でも、必死でも、腑抜けていても、その時、自分に必要で自分の心に残る言葉が発見できる。
みんなもそのときだけ、自分だけの言葉を探しにデブサミゆくといいと思う。

・ありがとうとおめでとう
@koseiさん、10周年、おめでとうございます。
そしてありがとうございます。
来年もきっと素敵なデブサミが開催されると信じています。

無題

1月 15, 2012

そもそも、美術作品を見ていると「パッと見てスゴイな!」と思ったり、「いいな!好きだな!」と感じたりすることがある。
これは頭の中で何かを考えたわけでなく、脊椎反射と云うか作品にたいする解釈を挟まない感覚によるものだ。

美術作品を生んだ作家、生まれた時代背景、なにより作家自身が作品に対してこめた思いなどを知ることなく、作品そのものを見てどう感じるか、そして、その作品に価値を感じるかを判断することを「審美派」、一方で審美派が無視しているものを考慮して、作品の価値を判断しようとするのが「教養派」と誰かが本で、言っていた。

僕が中学や高校までに受けてきた教育では審美派的な美の価値を多く説かれていた。
作品は考えすぎずに自らの思うままに作ればよいし、作品の価値も「自分がその作品を見て何を思ったか」を基準に決めて良いのだといわれていた。

作品の美は言葉による説明を必要とせず、必然的ににじみ出てくるものだし、多くの人々はその美を理解できるのだ。
こうした考え方は間違っていないよう思うのだけれど、この立場に立っていただけでは理解出来ないことも多い。
僕にとっては、パブロ・ピカソのキュビスムの作品がそうだった。彼の作品が美しく、価値があるというのは「よくわからない」ことだった。

そんな、僕がピカソという有名な芸術家の作品の価値を理解できたのは、大学に入ってからだ。
図像学という講義を受講して絵には見方というものがあり、多くの人たちはルールに従って作品の価値、つまり美を理解しているのだと知った。

美は作品と自分との関係だけから湧き出るのではなくて、多くの人々は共有しているルールによって共有され、支えられている。
だから、作品を見ただけでは、その作品の美をとらえることはできない。
ルールを知り、ルールに沿った価値基準においてどの程度、価値が高いのかを説明しなければ作品の美は多くの人には伝わらないし、共有されない。

特に現代アートでは「なんだこれ?」という作品に出会うことが多い。
ポンッと目の前に置かれたなんだかよくわからない作品は、「何を表現したいのか」「なぜ価値があるのか」という見た目では表現しきれていない価値の説明を必要とする。

そうした作品に何がしかの説明があればいいだけれど、ないものも多い。
特に異国の美術館だとキャプションが読めないので、作品と自分との関係のなかで美を理解するという難行に挑まなければいけない。

このように考えると美には国境が存在していて、翻訳が必要であり、美術鑑賞は体感的な経験じゃないのかもしれない。

むしろコードの美をとらえるのと似ているかもしれない。
コンテキスト、意図がわからなければその美と価値が理解出来ないという点において。
そして、美をとらえるにはたくさんの美しいものを見るという経験と自分の創造物の美を主張する人は「なぜ美しいのか」を説明しなければならない、という責任がある点も。

転職していわれたこと

12月 31, 2011


岩(問題)を掘り進むのもいいですが、うまく避ける方法も覚えてください。

コードを読む力が足りてないです。もっとコード読んだほうがいいです。

知っていることも重要ですが、成果をだすことも重要です。

実感として試用期間、3ヶ月目でクビになっててもおかしくないな、と思うほど成果に乏しかった。
成果は口からではなく行動から生まれる、ということを忘れずに精進したい。

ということで、今年の締めくくりと来年の抱負でした。

台湾旅行雑記

12月 9, 2011

今週3泊4日で台湾へ行ってきた。
主に台湾のアートを見に行ったので、その感想は他で書く。

今まで国外にゆく機会を作らなかったので、いろいろと心配していたのだけど、自分が考えている以上に何も知らなくても旅行ができるようになっている。
使ったのはHISのフリーツアーだった。
http://www.his-j.com/Default.aspx

海外にでて感じたのは、英語の便利さとコミュニケーションの面白さだ。
英語はほんとに便利で、僕は北京語がダメ、相手は日本語がダメ、でも英語なら何とかなった。

しゃべる場面は大抵、買い物だったり乗り物だったり、観光施設だったりするのでコンテキストが整っているからこちらの意図が伝えやすい、というのもあるけど必死になると意外と喋れるものだ。

もう一つ重要なのは、自分から心を開くというか、自分からきちんと行動を起こすことだ。
土地柄かわからないが結構、親切な人は多い。
でも、やはりこちらが自分の思ったことを全ては汲みとってくれないし、

相手を必要以上に警戒したらこちらから踏み込んで会話できないし、無警戒すぎるとこちらが被害にあうかもしれない。
言葉というツールが使えないなか、このバランスを取りながらコミュニケーションをとるのは難しい。

それでも自分が旅を楽しむためには、自分から積極的に話しかける必要がある。
言葉は通じるか、相手は悪い人じゃないのか、恥ずかしい思いはしないか、などいろいろと心配なことはあるのだけれど、そうした不安を乗り越えてコミュニケーションをとる必要がある。
特に、相手がなにがを考えているのか、何を思っているのか、相手のことを思いながらコミュニケーションとるというのは、日本だと当たり前と言うか、意識しないのだけれども、これを意識的に行うことになる。

自分の気持ちをしっかり伝えよう、相手の気持をしっかりと受け止めよう、という意識を大切にしたのは、言葉が通じないもどかしいコミュニケーションならではの経験だったように思う。
この気持ちを日本でも忘れずにいたいものだ。

以下は、自分のメモ。

・荷物
預ける荷物にパスポートはいれちゃダメ。
常識過ぎて、誰も注意もしてくれないので初心者の人は気をつけよう。

あと機内持ち込みいろいろ制限がある。
主にカミソリや液体系(化粧水とかジェルとか)はいろいろ厳しい。

・ArrivalCard
書いたものの自信がなかったので、CAにチェックしてもらった。
“Please check this?”とか言ったけど、日本語で通じる、たぶん。。。
入国もこのカードを書いておくと質問もされずにスムーズ。日本のパスポートの威力なのか。。。

・気温と天気
暖かったが、ときどき雨がぱらついた。でも晴れると暑い。。。
傘を持って行くと良いと思う。

・言葉
観光地は日本語を話せる人がいることもある。
基本的には北京語なのでこちらは全くわからない。

こちらがつたない英語で話しかけるとあちらもゆっくりとした英語で話してくれることが多く、買い物や食事、ホテルや観光地で不便しない。
英語って便利、もっと使えるようになりたい。

・治安
治安が良い。
ただガイドさんがいってたけど、「自分で気をつけようとしっかりと思っていたら大丈夫」という感じだろう。
結構、いろいろ警戒していたから良くないことに巻き込まれなかったんだ、と思うことにしている。

いちおうセーフティポーチみたいなものをして、カードと現金、パスポートとEチケットのコピー等をいれて持ち歩いていた。
パスポート、カード、日本円を1万円、を入れておけばいろいろ何とかなりそうなので安心。

あとは外出中はにもつをホテルに置いてゆくのでホテルのグレードが重要なのかもしれない。
それなりの質のホテルでないとあぶないかもしれない。

今回、ツアーで決められたホテルは山水閣大飯店だったけど、綺麗で従業員の人も日本語堪能だった。
グレードが高いというわけではないけど、安心、安全、清潔なホテルだった。
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g293913-d545809-Reviews-Hotel_San_Sui-Taipei.html

・食事
屋台とお酒はやめておいた。
旅の醍醐味がー、的なことも思ったけど、なにかあったときに助け合える人もいなかったので、危険をおかさないことにした。
次行くときはチャレンジしたい。

食事は、百貨店のレストランとかフードコード、あとは街のパン屋さんでかったものを食べた。

・コンビニ
セブンイレブンとファミリーマートが多かった。
セブンイレブンでは「▲※◯□」的なこと言われた。
どうやら袋が有料らしく、「袋はいりますか」ときかれていたらしい。
袋はたしか1台湾ドル。

・移動手段
とにかく安い。
台北から故宮まで200台湾ドル。日本円で約600円。日本のタクシーの初乗り運賃よりやすい。

僕は、街中を歩くのが好きなのでずっと歩いていた。
でも、電車やバスには乗ればよかったなー、と思った。

あと、タクシーの運転手さんは片言の日本語が話せる人が多かった。

・グローバルデータ
すごく便利。
少なくとも台北市内は、これとiPodtouchでのgooglemapで迷うことなく散策できた。
充電に若干の不安があるけど、eneloopのブースターセットを借りたら1日はもつ。
もちろんブースターは自分が持っていたら借りる必要はない。
http://www.globaldata.jp/

・ガイドブック
世はまさにわからないことはググレカスの時代で、すべての情報をネットで集めようと思ってしまう。
でもやっぱり断片的な情報を集約するのは面倒。
それにたいしてガイドブックはその土地と旅行するというキーワードで情報が集約、整理されているので見やすくて使いやすい。
1冊かって持ってゆくと便利だと思う。
下の1冊を買ってもっていった。
http://www.amazon.co.jp/dp/4398267921/

・デジカメ
持っていったけど使わなかった。
基本写真はipodtouchで撮った。
綺麗な写真を取りたい人はいるんだろが。

・折りたたみ傘
雨が降ったらやはり必要。
現地で買ってもいいかもしれないけど。

・サブバック
現地での物入れやお土産を持って返ってくるのに使った。
あるといろいろ便利。

・Barmas / PRESTAGE・51cm
旅行直前で買った。
すっごく軽くて持ち運びやすく、それでいて頑丈。
3日分の着替えが全部収納できて、本も数冊はいった。バックを転がしている時の音も非常に静か。
2万円ぐらいだが安い買い物だと思う。
http://www.bermas.co.jp/products/products_2.php

ちなみに、キャリーバックのレンタルってないのかなー、と帰国してから思った。
そんなに大きさは揃えられないし、行先によっては3日分では足りないこともあるだろうし。
とおもったら、やっぱりあった。
http://www.suit-case.org/

・お土産
持って返ってくるか、送るかをあらかじめ決めておくといいかも。
サブバックを持って行かなかったら、持って帰れないところだった。

HangerFlight〜SnowBarrage〜のおすすめセッションをご紹介

12月 4, 2011

来週末にせまったDevLOVEのHangerFlightの僕的なお勧めセッションを紹介したい。
どれも僕自身や僕の現場を変えてくれそうなお話が聞けると期待している。

まだどのセッションに参加するか迷っている方、参加自体を迷っている方に参考にしてもらえたらうれしい。

<第3機・家永さん>
森の賢者と称される家永さんによる、開発現場のパタン・ランゲージの入門編。
パタン・ランゲージの詳しい内容は下記をご参照いただくとして、エリック・ガンマのデザイパターンのアイデアの原型となったものでもあり、現場への知識への伝播や現場からの学びを得るための有用な方法だ。
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/patternlanguage.html

現場を前進させるために、人びとがもっている暗黙知を伝播させることは有効だ。
もしもあるスペシャリストの暗黙知を上手く伝播できるのであれば、現場にいる人たちの成長に大きく寄与するはずだ。
自分自身の学びを活かして現場を変えたい、また現場から新たな学びを得たいと思う人には有用な学びを提供してくれると思う。

家永さんは、昨年もCI(継続的改善)をテーマにお話をいただいている。

僕はこのお話を聞くことができなかったのだけれども、非常に評判が良かった。
その会から約一年、久々の登場でどのようなお話が聞けるか、僕は非常に楽しみにしている。

<第7機・こんぴろさん>
本年のAgileJapanの基調講演を行ったリンダ・ライジングが書いた『FearlessChange』に基づいて、自分の現場を変える方法を参加者で考えるセッションになる模様。
僕がこんぴろさんとお会いするきっかけになっとなったのも『FearlessChange』という本だ。
当時、前職で開発手法としてScrumを導入しようとしていた際に、「Scrumを取り入れたいなら、『FearlessChange』を読みなさい」と紹介されたのが、『FearlessChange』の読書会だった。
2年ぐらい前のことだ。

定期的に開催される読書会に参加しながら、本で読んだ内容やディスカッションした内容を試した結果、事業計画に携わるぐらいにはなった。
事業計画には、開発の将来としてアジャイル開発やRuby、HCDの必要性を盛り込んで発表したと思う。

結局、その後に会社を離れてしまったので道半ば、やり切ることはなかった。
でも、ヒラの自分が、組織の将来を決める計画にたずさわることができたのは、この読書会と『FearlessChange』からの学びを活かした結果だと思う。

自分の現場を変えたい人は、ぜひご参加を。

<第12機・アラさん>
アラさんはMIRAIGENGOというWebサービスに関わるプログラマだ。
http://miraigengo.com/

このMIRAIGENGOというサービスは、体で表現するエスペラント語をコンセプトに作られたサービスだ。
しかも面白法人カヤックの面白ビジコンで最優秀賞を受賞したサービスでもある。
どんなサービスなのかは、下記のURLで動画をご覧いただきたい。
http://matome.naver.jp/odai/2131201594030590501

くしくもHangerFlightの日がサービスのβ版リリース日になる。
講演はその記念ともなるものだと思う。

僕らはプロダクトを開発し、リリースすために悪戦苦闘している。
僕らとは少し立場が異なるものの、独自のWebサービスをリリースに携わり悪戦苦闘したアラさんのお話はきっと僕らの現場にも役立つはずだ。

魂に熱が欲しい方、ぜひ、サービスリリースをやり遂げたプログラマの話を聞きに来て欲しい。

知らず知らずに内に自分の視点や行動は固まっているときづく@DevLOVE

11月 16, 2011

先日12日(土)にDevLOVE&yass合同勉強会「自力で海図を描きだせ!!」に参加した。
http://togetter.com/li/214190
http://kokucheese.com/event/index/19568/

講師の倉貫さん、梅野さんにお話を頂いたあと、「自分たちの10年後の明るい未来」というテーマでディスカッションを行った。

その際にエンジニアと経営者との視点や行動の違いが印象に残ったので、下記にまとめる。

ディスカッションで印象に残った指摘として、「エンジニアは自分を中心に将来を考え、経営者は外側にどのように影響を及ぼすかで将来を考える」というものがあった。

10年後の未来を考えるときエンジニアは「自分はアーキテクトになって」とか「プログラマとして現役でいたい」などのように、「自分がどうなっているか」を中心に未来を考えている。
一方で、経営者は「社会をこのようにしたい」とか「こういう問題を解決していたい」などのように、自分の事業や行いが「世界にたいしてどんな影響を及ぼしているか」を中心に未来を考えている。

こうした視点の違いから、現在の扱いも違ってくる。
10年後を考えるときにエンジニアは「googleはどのドメインで稼いでいるか」「メモリやCPUはどんな進化をしているか」など、現在の情報を集めて分析することで将来を考える。
いうなれば、現在の延長として未来を考えおり、現在は未来を構成するための材料だ。

他方、経営者はすでに自分の理想としての未来を思い描いている。
経営者が思い描く未来には、現在の事実や情報はあまり関係ない。
現在は理想の未来にたどり着くため過程であり、現在取り組むべき問題は理想の未来から逆算して取り出された課題だ。

経営者の未来は、現在の事実を積み上げた先にはなく、自分の思いや理想にあるのだ。

もう1つは、エンジニアは行動の前に情報を集めたがる、ということだ。
講師の一人は、「起業をしたいのですが、おすすめの本はありますか」という質問をされたというが、まさにそれがエンジニア的だ。
なにかをやるにつけそのことについて事前知識を持ちたがる、という姿勢は、冷静といえば冷静だが、行動力にかける。

一方、経営者は、起業をしたいと思っならまずは起業してしまう。
当然、前情報が少ない分失敗することもあるだろうが、その経験から学ぶ。
経験と共に学習し、学習した内容を実践投入することで、成功する確率を高めるのが経営者なのだ。

エンジニア的視点と経営者的視点のどちらが優れているか、ということは重要じゃない。
問題は、エンジニアや経営者として働いていると知らず知らずにのうちに視点や行動が固定されていることだ。

今回、エンジニア以外にも営業や経営者など立場や価値観が違う人たちが集まってはなしたことで、自分の考え方や行動が固定しがちなことに気づくことができた。

同じようなコンセプトで第2回も開催してみたい。

自分が提供できるもののない勉強会には行けないよね

11月 4, 2011

最近、人が開催している勉強会に参加することが減った。

時間がないとか、自分に刺さるテーマの勉強会がないとか、自分が開催する側に回っているほうが楽しいとか、様々な理由はありそうだが、一番の理由は、「参加しても提供するものがない」と感じているからだと思う。

「提供するもの」といっても圧倒的な知識とか経験だけを意味しない。
そもそも勉強会なのだから知らないことがあって当然だし、明日、翌週の仕事が少しでも前進させるために学びに行っているだから知識や経験の有無は関係ない。

むしろ、知識や経験がないゆえの質問や疑問や悩みも立派に「提供するもの」になる。
とはいえ、それを自分のなかに抱えたままでは意味はない。
その場で質問したり、話したりして参加者と共有することで初めて提供したことになる。

昨今、23区内に限ってもたくさんの勉強会が開催されている。
講師も内容もかなり充実している。
しかも無料だ。

そのため、勉強会に足が運びやすくなったし、参加へのハードルも低い。
加えて、同じような問題意識や悩み、興味を持ったエンジニアと出会うこともできる。
だから楽しい。

しかし、そういう場になかなか足が向かない。

とにかく自分がその場に行くことで「何かプラスな影響が与えられそうだな」と思えない場には足を運ばない。
せめて自分がよい質問ができる、と感じられない場には参加することがためらわれる。

だから、他の人が開催する勉強会から足がとおのいているのは、自分のなかに人に分け与えられる材料がないからなのだと思う。
そう考えると、自分が仕事や自主的な活動でインプットを行うことを優先したくなる。

自分がちゃんとしたものを提供できそうだと思うまで、勉強会には足を運ばない。
そんな態度のほうが、自分にとっても勉強会という場にとってもプラスになる、そんなふうに思っている。

話を聞くだけで質問も出来ず、ただ知り合いや話の合うエンジニアに会いにゆくためだけに参加する。
自分がそんな参加者になるのは、勉強会という場にはマイナスになる。
自分にとっても時間の無駄だ。

とここまで書いたけど、前にもこんなことを書いたような気がする。

なんでこんなことを書きたくなったのか考えてみると、参加したいな、と思う勉強会はあるんだけど、その勉強会にでた自分が提供できる何かをもっていると思えないから参加を悩んでいるからだと思う。

さて、どうしようか。